2008年10月5日 練馬区 大泉 北野神社祭礼



こちらへは、昨年来たのぶさんからのお誘いで、お邪魔しました。
太鼓があり、五六之宮の講中だったとのこと。
今回お話を聞いた方のなかにも、昔、府中に来ていたという方がおられました。
 

中里囃子、流派は不明。
 




太鼓はトラクターで引っ張る。
道中、「どこから来たか?」と尋ねられ、「府中から」と答えると、「やっぱりそうだと思った」とのことで、太鼓の叩き方を見てそう思ったのだとか。
この方、昔は府中に来ていたそうで、五之宮に来ていたとのお話。
さらにお話を伺うと、御歳は65歳、今は役持ちになって叩くことが出来ないそうだが、15〜6からこの太鼓を叩いていた。
太鼓を曳くのも今はトラクターだが、元来は人力、一時は牛で曳いたそうで、牛には紅白の幕を掛けて曳かせたとのこと。
今では牛も居なくなり、農家がいらなくなったトラクターを奉納してくれたとか。
確かにトラクターが活躍しそうな場所は道中見受けられず。つまり、このトラクターは太鼓専属なのだということでした。
 

この太鼓は宮本卯之助製。大正十四年の製作。
皮は数年前に破けて、張り替えをしたとのこと。
 




太鼓と神輿の間には木遣り。
 





ここの叩き方は独自色が濃い。上乗りは座りっぱなしで、通常は提灯も上げっぱなし。
叩く順番は七五三で一緒のようだが、基本的に提灯を下ろすのは、太鼓の音を止めるためだけに使う。
かけ声は上乗りだけでなく、周囲の人間が一斉にかけるのが大きな特徴である。
叩き手が振りかぶるのにあわせて「オー」といい、叩くのにあわせて「ライ」という。
このかけ声が、「そーれい」「おーれい」と人によっても異なる。
叩くときは結構この声に煽られてしまう。
 







台車は横浜の元石川保木に近い感じ。年代的にも同じくらいのはず。
皮の具合は非常に良く、叩きごろ。バチは朴の木か?どちらかというと軽い部類。
また、休憩のときは叩かない様子。
 



神輿も宮本。
 



道中、なにやら「見慣れぬ半纏」だとクレームがついてしまったので、ここまでで退散することに。
宮出し前に太鼓についておられた役員の方にご挨拶はして、宮出し後も太鼓のそばにいた方々には認めていただいていたようなのですが・・・。
神輿の方にくっついていた人からクレームが来て、退散することに。
お世話になった地元の方にお暇のご挨拶すると、「また来年も・・・」との言葉を頂きました。
でも、残念ですが、お邪魔しない方が無難なようです。お話を聞かせていただいた方、ありがとうございました。
 
さて、元々、午後の予定だった下石原に向けて移動です。
こちらは例年おなじみで、お世話になっているところです。
 
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