2004年11月3日 府中市制50周年記念イベント その2
花火が上がり、パレードがスタート。(t_fumi撮影)
太鼓パレード前半はt_fumiの写真ばかりでございます。(t_fumi撮影)
お祭りと違って、平和だねぇ。(t_fumi撮影)
カメラ持って先頭を追いかけてるのかな。四谷を追い越して、押立の本村神社を。
(t_fumi撮影)
先頭。高張り提灯を掲げるのは京所町のお姉さん達。(t_fumi撮影)
大正10年。この中で一番古い太鼓だ。(t_fumi撮影)
左:白山神社御太鼓
右:押立本村神社御太鼓(t_fumi撮影)
三社宮神明社御太鼓(t_fumi撮影)
左:下染屋神明社御太鼓
右:車返八幡神社御太鼓(t_fumi撮影)
左:上染屋八幡神社御太鼓
右:御獄神社御太鼓(t_fumi撮影)
左:小田分石井神社御太鼓
右:小野宮(小野神社)御太鼓(t_fumi撮影)
左:常久八幡神社御太鼓
右:是政八幡神社御太鼓(t_fumi撮影)
左:人見稲荷・浅間神社御太鼓
右:南町八幡神社御太鼓(t_fumi撮影)
左:芝間稲荷神社御太鼓
右:八雲神社御太鼓(t_fumi撮影)
本宿熊野神社御太鼓 西府町 平成8年(t_fumi撮影)
大国魂神社 御霊宮御先払御太鼓 昭和9年。
二之宮太鼓が出来るまでは日本一だったという。大国魂神社の現在の太鼓のなかでは最も古い。(t_fumi撮影)
大国魂神社 三之宮御太鼓 平成2年(t_fumi撮影)
大国魂神社 二之宮御太鼓 昭和52年(t_fumi撮影)
現在のお先払い太鼓が出来るまで、日本一の太鼓であった。
大国魂神社 五・六之宮太鼓 平成6年(t_fumi撮影)
大国魂神社 御先払太鼓 昭和60年
刳り貫き胴としては日本一を誇った太鼓。(t_fumi撮影)
パレード中は閑散と(t_fumi撮影)
御本社の太鼓が欅並木を抜ける(t_fumi撮影)
大国魂神社 御本社御太鼓 昭和27年。それまでの太鼓では喧嘩の時に負けて転がされてしまうため製作したという。
太鼓は太鼓講中の寄付により制作され、資金の都合で台車は町内の有力者が出資して制作した。(t_fumi撮影)
大国魂神社の太鼓としては一番小さい。しかし国産欅の大木を使用した貴重な太鼓である。(t_fumi撮影)
ここからは筆者の写真。御本社の太鼓。
写真の発色の違いは筆者のデジカメはフジ製。t_fumiはパナ製。
御本社。
下染屋と車返。
上染屋。
御獄神社は中河原。小田分は現在の小柳。小柳の小は小田分から、柳は柳原からとったという。
小野宮は式内論社。多摩の小野神社と同じく武蔵総社一之宮。
ただし、大国魂神社は現在正式な一之宮を多摩の一之宮にしている。
常久八幡。
是政は井田是政という人の名前からとられた地名。
お先払いの太鼓。
やはり大きい。
先に行くのは五六之宮太鼓。
五六之宮太鼓。
二之宮太鼓。八幡町は元は八幡宿村。明治時代府中駅が出来るときに廃村届けを出し、府中駅に合併した。
三之宮太鼓。
御霊宮太鼓。
本宿熊野神社太鼓。大国魂神社以外では一番大きい太鼓。
神社の裏は上円下方墳という珍しい形式の古墳で、横穴式の石室を持つ。
この説明会の際に写真を撮ったのだが、筆者のHDDの死亡と共に紛失。
三之宮太鼓。
御霊宮太鼓。ミネバリの木で作られた太鼓。
柳原と白山神社。この辺は戦前の太鼓。周辺の神社の太鼓が巨大化するのはバブル前夜から。
こちらも昭和9年生まれ。
彼は平成生まれ。
お宮の前で東西に別れる。
八雲神社。素戔嗚尊をお祭りする。牛頭様と呼ばれるのは牛頭天王と素戔嗚尊を同一視するため。
ちなみに八雲神社の祭神はほぼ間違いなく素戔嗚尊であり、神明宮・神明神社という場合は天照大神が主神である。
太鼓パレードの間飾られている旧御本社神輿。
御霊宮御太鼓。我々は「本町の太鼓」と呼ぶことが多いかな。
バックショット。
三之宮太鼓。
二之宮太鼓が行く。この太鼓はやはりセンセーショナルだった。
望遠って便利。ただし手ぶれに気をつけないと。
五六之宮太鼓。
御先払太鼓。
まだ紅葉前の欅をバックに良く映える。
大きい。
見る者を圧倒する。
我が友人がパレードを見に来て残したコメントがある。
「大きな太鼓が一斉に鳴り始めた瞬間、テロかと思った。」
ずいぶんとでかい太鼓が増えたなぁ(鳳凰氏談)
ずらり並んだ西方の太鼓。大国魂神社を境にして西の太鼓だ。
こちらは東方の太鼓。
もう一度、西側。
八雲神社。
芝間。
南町。
折り返してきた西方の太鼓。
横向き。こっち向いてくださいよ。
こちらは東の太鼓。
何を思うのか。
何となく菊紋。
御本社の太鼓が大国魂神社へ戻る。
これにて終了。しかし、まだまだ続く。
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