くらやみ祭り 東の山車 (府中囃子 船橋流)

くらやみ祭に参加している山車で、府中の東側に所属するものを紹介する。

新宿

新宿山車
新宿町 昭和63年製作 村上市の細野氏による。
この山車は3代目で、製作した細野実氏は伽藍彫刻家。日展入選作家である。
製作当時、細野氏がいうに、「東京一の豪華な山車」とのことであるが、それもまんざらでは無かろうと思える。
新宿の山車の歴史としては、初代の山車は出所は不明だが、2代目の山車を購入後は東馬場に譲られ、何年か使用されていたらしい。
しかし、この山車は山車小屋が立ち退きにあった際に解体され、行方不明だという
先代(2代目)は大正11年に1200円で立川市砂川八番より購入。
明治期に製作された物で、砂川は当時養蚕で栄え、その経済力を持って立派な山車が多く作られていた。
この山車を持ってきたのは、すもも祭りの当日だったという。
なお、新宿の囃子連ができる前は千歳船橋から囃子手が来ていたという。
 
新宿町は府中三ヵ町の1つの新宿であり、脇本陣があった。
天保期には旅籠14軒 飯売旅籠5軒を数える。
明治において、本町、番場宿、六所神領(八幡宿)と合わさり、府中四ヵ町の1つとなった。

八幡町

八幡町山車
八幡町 昭和26年製作 昭和61年大改修 平成9年彫物追加
八幡町の囃子は昭和8〜9年頃より始められたものという。流派は船橋流である。
当初は荷馬車に、組み立て式の舞台を作って引き回していたとのこと。
これは戦後まもなく、破風板が電柱に触れて舞台部分が倒れて壊れたという。
その後、土地の大工の細谷氏に頼んで製作したのが先代の山車で、この山車は現在の山車を製作したため解体。
部材の一部は欅若連の山車に引き継がれている。
現在の山車は彫り物が非常に多く、豪華な作りとなっている。
高欄、前部柱には龍。後部の明かり取りは天の岩戸と因幡の白兎など多くの彫り物が取り付けられている。
 
八幡町は六所神領の八幡宿村であり、宿とはつくが農村であった。
明治において、本町、番場宿、新宿と合わさり、府中四ヵ町の1つとなった。

是政

是政山車
是政 昭和51年製作
先代の山車は番場より譲り受け、さらに、この山車は欅若連へ譲られた。
物の本によると昭和7年より囃子を習い始めたという。
流派は船橋流。
 
是政は元は是政村という村落で、明治期には多磨村に属していた。
新編武蔵風土記にあがる小名には小六林、三屋、中村、西浦、真慶寺が見受けられる。
是政村の鎮守は八幡神社。
是政の名の由来は北条旧臣の武士、井田是政にちなんだもの。
井田家は畠山家より別れており、さらに秩父氏に繋がる。
秩父氏は桓武平氏を名乗っており、ここからは畠山氏の他に江戸氏、三浦氏、河越氏などの坂東武者としては有名な氏族が多く別れている

新成区

新成区山車
新成区 昭和56年製作
この山車は昭和56年に製作された。
新成区は昭和50年より囃子を始めたという。
流派は船橋流。
 
新成区は新宿に含まれ、宿の北の外れといったところ。
片町などと同様に、もとは人も多くなく畑や雑木林などが多かったようだ。

東町

東町山車
東町 昭和60年製作
東町は昭和56年より囃子を始めたという。
いまでいう清水が丘3丁目のあたりで、鎮守には白山神社を祀る。

押立

押立山車
押立町 平成3年製作
山車は比較的新しく、平成3年に完成。
本村神社の祭神、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治している図を右に。
押立神社の祭神、お稲荷様が左に彫り込まれている。
山車は新しいものの、押立は昭和4年より囃子を始めたという。
調布の上石原と合同で始まり、流派は船橋流ながら、狛江囃子の影響などを受けているとのこと。

小柳町

小柳山車
小柳町 昭和56年9月製作。
小柳町は昭和54年より囃子を始めたという。
囃子は是政から伝えられた。
部落の鎮守に柳原神社を祀る。

新宿山谷

新宿山谷山車
新宿山谷 平成7年製作。
これも日展入選作家、村上市の細野 実氏の作品である。
細野氏は伽藍彫刻家で、山車を作らせたら当代一との評価もある。
府中では他に本宿や新宿の山車も細野氏の手によるもの。
いずれもバランスがよく、すばらしいものばかりである。
新宿山谷は昭和52年より囃子を始めた。
師匠は新宿で、船橋流である。

下染屋

下染屋山車
下染屋 平成10年製作。
下染屋は古くは下染屋村という村であった。

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