本町本町の山車。昭和45年製作。 先代は本宿へ譲る。 本町は府中では最も早く囃子を始めたとのことで、歴史は明治36年頃に遡るという。 それ以前は、本町では青梅から、番場では貫井から囃子手が来て、居囃子を行っていたという。 本町から始まった目黒流の囃子は、番場へ伝わり、さらに片町へと伝わる。 その後、本町からは本宿、矢崎、南町、中河原などへも伝えられている。 山車を導入したのも、本町と新宿が早かったということで、大正5〜6年には町内を引き回していたとのこと。 本町の当時の山車は、町内在住の大工の手によるもので、牛に引かせて、手古舞等を先頭に行列していたらしい。 本町は府中では一番古い町で、明治までは多摩郡府中領に属し、幕府領だった。 江戸期以降、府中三ヵ町の1つとなり、府中宿ではもっとも古くから宿場としての様相を整えていたという。 古くから家並は鎌倉街道(奥州古街道・甲州古街道)沿いにあったとされ、それは今でも府中街道ならびに鎌倉街道に沿った地域となっている。 本町には府中宿の本陣があったが、天保6年の大火で焼け、その後は番場宿の脇本陣が本陣役を代行していたという。 天保12年頃の資料では旅籠1軒 飯売旅籠1軒を数える。 明治において、番場宿、新宿、六所神領(八幡宿)と合わさり、府中四ヵ町の1つとなった。 添え村として、芝間、矢崎、分梅の3つの部落をもち、明治期に府中駅となってから、府中駅内の小名となる。 ちなみに、府中は瓜(あまうり)の産地であった。これは昔、美濃国の真桑村(まくわむら)から、2人を召して瓜を作らせたのがはじめで、出来た瓜は江戸城に送っていたという。 |