武蔵府中は武蔵国の国府である。
ここに鎮座する大国魂神社は、古来より武蔵総社とされ、多くの人々からの崇敬を受けている神社だ。
その例大祭である暗闇祭りは、国府祭の流れを組んでいる格式の高い行事である。
暗闇祭りは武蔵国府の祭りであり、ひいては武蔵国のお祭りともいえよう。
 
暗闇祭りは、長い歴史をもつ神事である。
例えば、司馬遼太郎の作品の燃えよ剣の、暗闇祭りに関する記述にはこのように書いてある。
「江戸市中の神社の宮司は、六社明神の祭礼では下役人とされてしまう。」
それほどに由緒のある格の高いお祭りなのだ。
江戸では「三代住んで江戸っ子」だそうだが「府中に住んで三代目」では、良い悪いは別にして新参者扱いをされる。
それも府中には古くから住む人が多く、十代続いた、、、なんて言うのは珍しくも何ともないことだからだ。
このように非常に古くから町がひらけていたのが府中という町であり、その町で古くから受け継がれてきたのが暗闇祭りである。 
 
また、暗闇祭りは古式に則った厳粛な神事である。
新興地での住民交流を目的とした祭りとは違って、本来の祭りの姿を色濃く今に残しているともいえよう。
たとえば御霊を神輿に移す際は、絶対に人目に触れぬようにされたうえでお移りいただく。
貴いものを見ることは、古来より許されることではない。
だから、暗闇祭りでは、暗闇の中を、神社から御旅所まで神輿が渡御をする。
真っ暗な中を、提灯の明かりだけを頼りに渡御をして、御旅所に入り神事が行われる。
神聖なものを見ることは慎むべきことであり、それが故に「くらやみ」の中での行事であったのだ。

 
暗闇の中を、神輿が神社から町に来て旅所で休み、供物を受ける。
この世のはじまるとき、神が暗闇の世界にやってきて、人々から供物を受ける。
これは、そんな場面を思い起こさせる。
そして、六日早朝に家という家が、全て提灯をともす。
前夜とはうって変わって、明かりの中を神輿は町内を回って神社へ還って行く。
暗闇の世界に神が現れ、世に光が満ち、この世界がはじまる。そして、明るい世の中を神が行く。
まるで創世記のようである。
府中では、正月よりお祭りの方が、一年の始まりのような気がするという人が多い。
この世の始まりの時のように、毎年神様が町にやってきて、世の中を明るくしてゆくからだろうか。
ああ、六所明神さま
くらやみ祭りよ
闇に旅所へ ササラサイサイ
闇に旅所へ渡御なさる
            府中小唄より


 
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