欅若連欅若連の山車 昭和61年新調 平成2年8月修復 平成8年彫物追加 昭和60年から61年にかけ、20周年記念事業として会員の手により現在の山車は新調された。 この際、八幡町の山車の旧部材と欅若連の先代山車の部材を組み合わせて利用。 さらに、新部材と合わせて新たに欅若連の山車として製作されたものである。 欅の先代山車は昭和47年に市内の是政より購入。 その山車は是政に来る前は番場の山車(番場としては2代目)であった。資料によると、先代山車は番場の町内の大工の手により製作されている。 これが、番場が現在の山車(番場としては3代目)を購入したため、是政に譲渡、さらに欅若連へと譲られて来ている。 この山車は欅若連に来て後に老朽化したため解体された。 現在の山車の特徴として、鬼板には「けやき」の名が入っており、懸魚は波。 後部の明かり取り下部には平成8年に追加された、唐獅子牡丹の彫物。 同じく明かり取りの前後には、鯉の滝登り、獅子の滝上り・滝下しの彫刻が入っている。 欅若連は町内を持たない、いわば同好会という形をとっている。 前身は「第一子供会」として誕生。誕生当時、府中の囃子連には子供の部が無かったため、囃子をやりたいとすればここに入るほか無かったのだという。 そのため、人員構成は市内に広く分布しているのが特徴。 元々、囃子は番場から習った府中囃子目黒流。 |