是政是政の山車 昭和51年製作 先代の山車は番場より譲り受け、さらに、山車は欅若連へ譲られた。 資料によると昭和7年より囃子を習い始めたという。 流派は船橋流。 是政は元は是政村という村落で、江戸期には多摩郡府中領のうちで幕府領。 尾張徳川家の御鷹場があった。 幕末には944石程で、松村忠四郎支配所であった。 化政期には187軒の家数があった。 なお、常久村も、元々は是政村の内だったといわれ、古い代官割付には「是政村の内常久」と記載されたものが残っているという。 新編武蔵風土記にあがる小名には小六林、三屋、中村、西浦、真慶寺が見受けられる。 是政村の鎮守は八幡神社。 是政の名の由来は北条旧臣の武士、井田是政にちなんだもの。 井田家は畠山家より別れており、さらに秩父氏に繋がる。 秩父氏は桓武平氏を名乗っており、ここからは畠山氏の他に江戸氏、三浦氏、河越氏などの坂東武者としては有名な氏族が多く別れている |