大国魂神社-くらやみ祭り- 祭り好きの隠れ家 親父達の暗闇祭(くらやみ祭 古写真) その2

昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩


著作権所有 掲載許諾:小田分I様 紹介者:南町S様 同町K様
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらは本町、御霊宮太鼓。台車に本町の文字が見えます。
当時、日本一と言われた太鼓、周囲の人が持っているのは青竹。もちろん喧嘩用。
昔はお帰りのほうが派手だったそうです。撮影は大鳥居前に作られる警察の櫓より。
撮影された方は警視庁の奉職されており、当時府中署に勤務。写真が趣味で、これを撮影されたそうです。
現在小田分にお住まいのI様が撮影。南町のS様およびK様を経由して入手、許諾を得ました。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらも同じく本町の太鼓。見物人客の多さにご注目。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
四之宮がきた。改修前の四之宮、やはり筆者はこの姿が好きです。
神輿の手前には警固を振り上げてる人。本町の警固です。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
熱気が伝わってきます。そして次の写真へ。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
太鼓は五六之宮です。当然、先代の五六之宮太鼓。
神輿は四之宮。浅草の宮出し中止理由、担ぎ棒の上に乗るな・・・なんて笑っちゃいそうです。
怒声が聞こえてきそうな写真です。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらも上と同じ、連続ですが時系列は定かではありません。
太鼓が神輿につっこんだのか、神輿が太鼓につっこんだのか。
神輿の横面に太鼓がつっこんでいる状況からは、太鼓のほうがつっかけたように見えます。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらも同じく、五六の太鼓と四之宮の喧嘩。
ほっかむりの手ぬぐいは本町の手ぬぐい。今でもデザインは一緒です。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらは手前が六之宮、奥が五之宮。区別するには屋根の形にご注目ください。
先輩達に言わせると、五六の神輿はボロボロだったといいます。
明治に作られて、ほとんどそのまま使われていたのでしょう。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
こちらは六之宮。改修前ですが、神輿そのものは今も一緒です、
前の写真には五之宮も写っていますが、屋根の傾斜から五と六は判別できます。
鳳凰をグリ(擬宝珠)に変えていますが、昔はおいでは鳳凰でやって、おかえりはグリにしたりしていたみたいです。
昭和30年5月6日 神輿還御 大鳥居前の喧嘩
ラスト。太鼓は五六でしょう。周囲に新宿(志ん宿)の半纏が見えます。
神輿はおそらく御本社です。神輿がどこに見えるか・・・一見判りません。
中央ちょい右の、白丁を来た人の足元を見てください。菊の御紋が見えます。
中央下とその右上、神輿によじ登っている人が着ているのは「明神」の大紋を背負った半纏、番場の半纏です。
みんな青竹を持ってますね。
昔はおいでの時間が遅かった分、お帰りまでの時間が短く、まだみんな酔っぱらっていたそうです。
おいでは真っ暗ですから、明るくなったおかえりこそが喧嘩も多く、派手だったということです。
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