押立押立町 平成3年製作 山車は比較的新しく、平成3年に完成。 本村神社の祭神、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治している図を山車の右に。 押立神社の祭神、お稲荷様が左に彫り込まれている。 山車は新しいものの、押立は昭和4年より囃子を始めたという。 調布の上石原と合同で始まり、流派は船橋流ながら、狛江囃子の影響などを受けているとのこと。 押立村は幕末には民戸94軒とあり、南北に広く、北は現在の三鷹との境あたりまで達する。多磨町の三谷神社は、押立村のうちの山谷という集落であったもので、山谷が転じて三谷となった。 村は慶長元年(1596)の洪水によって南北に分断されており、現在の多摩川南岸を向押立と呼ぶ。現在、向押立は稲城市となっている。 |