平成12年度 大国魂神社 例大祭

2000年5月3日

朝8時、番場公会堂集合。
その後、なかなか仲間がこないので宝物殿に行く。
すると、既にリヤカーをもって先に来ていたらしい(^^;
いつもゆっくりな御本社も既に宝物殿前に出されている。
みんなで掃除をして、二天を長いものに換えて楔を入れる。
細引きで、鳳凰を押さえる。
南京縛りがよく分からない・・・毎年見てるがよく分からん。
その後、飾り綱を換える。
神輿が一段落した後、大太鼓を出す。
このころには、後から出してきたはずの御霊宮も四之宮もすでに本殿前に収めてしまっていた。
そして神輿を本殿前に収める。
暇を見て太鼓をたたく。
よい心持ちだ。
軽く二膳ほどたたく。やはり返しは難しい。
一膳とは、七五三一(しちごさんぴんと読む)で一膳となる。
府中の太鼓はただたたくのではない、決められた作法どおりにたたく。
叩き手交代で、空打ち3発、ただ続けてたたく。
ここから警固が入るのだが叩き方がある。
警固、利き手(1)、警固、利き手(2)、警固、利き手(3)、返し(4)(利き手と反対)、利き手(5)、返し(6)、利き手(7)で七回。
警固、利き手(1)、警固、利き手(2)、警固、利き手(3)、返し(4)、利き手(5)で五回。
警固、利き手(1)、返し(2)、利き手(3)で3回。
この最後の利き手に続いて、そのまま軽く利き手で一発入れると交代で、それが1回。
この流れで叩いて一膳となるのである。
そして仲間とともに、神社からの預かり物を持って公会堂に戻る。
その後で会所を作り、夜を待つ。
午後6時、古式競馬式のために、お駒を迎えに屋敷分へ行く。
番場大警固を持ち、行列の先頭に立つ。
毎年ながらよき気分である。
屋敷分にて休憩中、雨が降り出す。
慌てて合羽を着たがかなりずぶぬれになる。
お駒を伴い、お宮へ行く。
お払いの後に、馬場大門欅並木へゆく。
馬場にて競馬式挙行。一之駒より四之駒までが走る。
神社の大鳥居に戻り、一之駒責任者の挨拶の後手締めにて解散。
会所に戻った後、自宅に行き着替える。
再度会所に戻り、会所開きの準備。
会所開きを終えて、片づけの後、一丁目の休憩所にて飲む。
適度な時間に引き上げ、風呂に入って就寝。

2000年5月4日

起きて朝食を摂り、9時に会所に集合する。
細細とした買い物等を手分けして行う。
子供神輿の四天を準備するため、会所前に子供神輿を移動して二天を差し替えるとともに四天の準備を行う。
楔を打ち込み天棒を組んでる途中友人が到着。
友人はいったん新宿に行くというので駅まで送る。
会所に戻ると、飯が出来ている。いつものとおりカレーである。
その後、太鼓の町内周りの準備に入る。
会所前に太鼓を持ってきてロップ掛けをするので、交通整理に当たる。
準備が終わり、太鼓総代の挨拶の後に出発。
まずは、片町の会所に向かう。そこで休憩の後、高安寺の西側を通って片町三丁目の会所へ行く。
そこでビールをもらおうとしたら、なくなっていたため日本酒をもらう(^^;
鳥のから揚げを口にほうり込み、御新香を食べつつ日本酒を空ける。
次に分倍河原の駅前まで行き、そこでUターン。
ここでやっとビールにありついた。うまい。
再び旧甲州街道を西へ、京王線の踏み切りをわたって最初の信号を左へ。
裏の道を抜けて突き当たりを右へ。
再び旧道へ出る。
そして交差点を左へ行き、お駒の宿をしている伊藤氏の家の前でUターン。
そこで休憩の後、旧道を東へ。屋敷分の会所へ行く。
そこでもしばらく休憩し、二つ目の信号を左へ入る。
番場片町北裏道へ出る。
これを東へ進み美好町公園の会所へ行く。
ここでの休憩の後、さらに東へ進む。
途中の、一般宅前でも休憩し府中街道に進む。
府中街道を北へ、20号線をわたる。市民球場まできたところでUターン。
南に戻って、昔の市場のところを右へ。
番場三丁目の会所で休憩。
さらに進んで、銭湯前のパン屋さんにて休憩する。
サンドイッチをつまみつつ番場屋の横を抜けて旧道を渡って番場一丁目に入る。
旧下河原線に沿って南へ。
最初の角を左に入り、番場一丁目の児童部休憩所で休憩。
そこで、俺は交通整理を止めてしまう(^^;;
太鼓の上に上がり警固を代わる。
叩き手は父親で警固が俺である。
府中独特の「ホーライ」(オーライというヒトもあるが、本来はホーライだそうだ。
鳳来、蓬莱、宝来これらを意味すると思われる。)の掛け声とともに警固提灯を引き上げる。
正確には、「ホー」と伸ばしている間で警固をおろして、「ライ」とともに引き上げる。
そこを叩き手がたたく。これは暗闇で太鼓の中心を叩き手に教えるためにするのだ。
「親子太鼓だ!いいぞ!」などとの掛け声を聞きながら父親が一膳たたく。
休憩所を出発後、うちの店の前を通って府中街道へ出る。
府中街道と旧甲州街道との交差点を右に折れる。
府中の街に俺の声と太鼓の音が響く。
すぐの路地を右に入る。
合同庁舎の脇を北へ抜ける。
そして、魚東前で休憩。ここで警固を地元の西馬場の青年に代わる。
いったん西馬場会所を過ぎ欅並木を北へ。
太鼓の上から見る、新緑の欅並木はまた格別なり。
保健所のあたりでUターンして、お宮に向かって進む。
府中駅側の西馬場会所に入る。そこでワインを飲みすぎる(^^;
でもうまかった。
そして出発。
堀田タバコ屋のところで一旦停止。
三之宮の太鼓を先に行かせるために待つ。
しかし、三之宮のほうが時間に遅れたにもかかわらず、手前で止めて休憩し飲んでいたらしい。
それが元で喧嘩になる。
太鼓の上から見ているとかなりの大喧嘩になった。
何とか喧嘩は収まり、三之宮の太鼓を先に行かせる。
そしてお宮の前の交差点で、お先払いと、三之宮、そして御本社の太鼓が出会う。
パレードのために出ていた山車の行列もすぐそばにいて、大変盛り上がる。
しばし後、神戸会所に行き時間調整。
番場会所に戻り太鼓の町内周りが終わった。
各町内の人を接待した後、一杯飲んでいると友人から電話が有った。
新宿から帰った友人を含めて会所で腹ごしらえをする。
そして片づけの後、一丁目にて飲む。
適当に引き上げて、就寝。

2000年5月5日

朝おきて友人を起こす。
友人は昨日は酔いと疲れで眠ってしまったので風呂に入っていない。
朝飯後、俺は先に会所へ行く。友人はシャワーを使ってから来るようにさせる。
会所で用事をこなした後、太鼓の台車を応急で修繕する。
亀裂の入っている部分に当て木をして、ステンレスバンドで絞める。
それが終わって会所に行くと友人がいた。
会所で飯を食って、太鼓の送り込みのために警固を持つ。
屋敷分を回って、片町、神戸、西馬場の会所まで。
そこで時間調整をしてお宮に入る。
五六之宮の太鼓に続いて宮入り。
定位置に太鼓を収め、お差し込み出来ているはずの仲間のところへ行く。
本殿前のお白州に行くと父がいた。
もう、仕事はなかったので一緒に出ることにする。
会所に戻る途中に友人に電話が・・・予定がキャンセルになったらしい。
祭り見物をしてすごすことにして、会所へ戻る。
時間潰しのために一丁目の休憩所で飲み食いをする。
生ビールに焼き鳥・・・旨い。
時間がきたので会所前に集合する。
手丸提灯を持って、行列とともにお宮へ向かう。
「ホイサ!ホイサ!」と青年の掛け声が高まる。
気分が高まる。興奮する。
すでに、お先払い太鼓を先頭に、各宮の太鼓が参道に並んでいる。
その横を抜け隋神門をくぐる。そして中雀門前で行列を整える。
各町の総代と白い烏帽子の役白丁と横木係等が中雀門内に入る。
番場を中心とした、番場、神戸、片町、西馬場、屋敷分の五カ町は一之宮と御本社が分担である。(一之宮は現在は主に神戸と片町が分担)
したがって、大鳥居までは番場も警固および金棒、その他役員が一之宮につく。
そして、号砲3発、合図の花火があがる!!!
各宮の太鼓がいっせいに打ち鳴らされ始める。
腹に響く太鼓の音。俺が小さい頃から聞いて育った府中の祭りの音。
中雀門内の青年が手拍子とともに「ホイサ!ホイサ!」の掛け声を始める。
金棒が突かれる。
シャンコンシャンコン・・・・ホイサホイサ・・・ホーライ・・・・ドーンドーン・・・・シャンコン・・・・ホイサ・・・ドーン・・・・ホーライ・・・・
これらの音と掛け声と熱気が府中の街を揺さぶりだす。
江戸の祭りとは違う、多摩の祭りだ。
府中の祭りは江戸あたりの派手な新興住宅地の祭りとは異なる、古式に則った厳粛な神事の一面を持つ。
神聖なものを見ることは許されぬ。それが故に、くらやみの中での行事であったのだ。
武蔵国の総社の祭りは、武蔵の国の祭りである。
武蔵国の各地に散らばる講中がそれを物語っている。
そして、しばらく後に中雀門の隙間から一之宮の姿が見える!
一段と高まる「ホイサホイサ」の声!
思わせぶりに焦らせた後、、、中雀門が開く!!!
門が狭いため一旦肩を抜き、抱えた状態で門をくぐる。
わぁっ!!といった感じで神輿がでる!!
肩入れろぉ!!の掛け声でいっせいに神輿があがる。
黒烏帽子の担ぎ手が飛び込む!!
そして激しくもむ!!!
「ホイサ!ホイサ!オイサ!ホイサ!オリャ!ホイサ!オイサ!ホイサ!ホイサ!!!」
年に一度の祭り、その興奮を現すかのように、一之宮の神輿がもまれる。
府中に育った者の血が騒ぐ!!
深夜から夕方に渡御の時間は変われど、祖父も曾祖父も、、、そのまた以前の、代々の先祖が見たのと変わらぬ光景であろう。
一年でもっとも熱い時間が幕を開ける。
一之宮が隋神門をくぐり、四天を縛り直す。
門が狭いため、横木に短いものを使うのだが、外に出た後は長いものに換えるのだ。
その頃、二之宮が中雀門から出る。そして三之宮、四之宮、五之宮、六之宮、、、
これら6基の神輿が武蔵の国の主だった神社の神様だ。
そして、大国魂神社の御祭神である大国主命のお乗りになる御本社が出る。
最後には御霊信仰から始まったといわれる御霊宮の合わせて8基が出る。
ただし、この御霊宮は大鳥居はくぐらず、参道を戻って六所口から出ることとなっている。
諸説あるが、この記録には関係ないので割愛する。
六之宮が隋神門を出る頃、中雀門の内側に御本社が姿を見せる。
横木を左右に配して準備する。
シャンコンシャンコンと、金棒の音が響く。
御本社講中のホイサホイサの声がする。
中雀門の向こうで神輿が揺れる。
門が開き神輿がゆっくりと門の外へ出る。
白木作りで、飾り物は金。飾り綱は白。
黄金色に輝く上品な神輿だ。
黒烏帽子が神輿に飛びつく。
神輿があがる。
激しくもまれる御本社の神輿。
警固提灯が前に進み出す。
中雀門と隋神門の間を神輿が進む。
激しくもまれ、左右に振れながら進む。
荒々しくも神々しい・・・と、いつも思う。
警固が隋神門をくぐる。そして前に・・・神輿が隋神門をくぐる。
思わずとりついて担ぐ!!
血が押さえられない!!
「ホイサ!ホイサ!ホイサ!ホイサ!!」
ひともみした後、一旦おろす。
天棒をはずして、横木を長いものに換える。
はずした短い横木は神戸へ預ける。
神戸会所から戻り、神輿の側につく。
よいものだ。
一旦神輿がおりる。
すると、、、喧嘩が始まった!
神輿の側でたばこを吸っていた人間が、番場青年に殴り倒される。
神輿の側でたばこを吸うという無作法がいけない。
一旦それが収まったが、再び喧嘩が・・・俺の真横で始まる。
慌てて間に入る、あっと思ったら俺の提灯が飛ばされ、弓だけになる。
必死で分ける。
原因は分からない。
無理に分けて、収めるが・・・いきなりもろ肌を脱いだ男がいた。
「さっきの奴はどこに行った!!」
背中に刺青を入れている。ヤクザだ。今殴られた男の仲間らしい。
しかし場慣れしていないようだ。もしくは逆上したか?
この場で刺青を見せてイキがれば、警官に見られたとたん排除される。
短刀のような物を持っていたので、慌てて飛びのく。
仲間に押え込まれてそれも収まる。
今年はヤクザが多い。休みが長いためだろうか、ヒト自体も多い。
友人がいっしょなので、何かあってはまずい。
父親に太鼓に行くことを告げ、神輿から離れた。
各宮の神輿を追い抜いて御旅所へ行く。
よその神輿の脇を抜けるときは細心の注意を払う。
何かあれば、助けてくれる者はいないからだ。
ようやく人込みを抜けて、御本社の太鼓に辿り着く。
太鼓を叩きながら、神輿見物をする。
御本社だけではなく、五六之宮の太鼓や、お先払いの太鼓も叩く。
お先払いはでかい。五六之宮ですら中心が叩けない。
友人にも叩かせようとするが、友人は嫌がる。去年失敗してるから嫌だそうな。
そうこうするうちに、御本社が御旅所前に来ている。
五六之宮がもみあう中に入り三つ巴となる。
そこら中で身体がぶつかり合う。
三つ巴といっても、五六は新宿が元講だ。
毎年二対一である。
だが、大きく盛り上がる。
五が収め、六も収まり・・・・御本社は府中街道を進んできた御霊と出会いをしてから、御旅所前で四天をはずして収められる。
太鼓も番場に戻る。
番場に戻りながら、太鼓を叩く。
「おいで」の終わりを感じながら叩く。
おいでの最後だから、きちっと返しを入れる。
一膳で次の人に代わる。
今年の「おいで」が終わった。満足だ。
会所に戻り、腹ごしらえをして片づけをする。
本会所を閉めてから一丁目の会所に。レバ刺しを賞味しつつ飲む。

2000年5月6日

3時に起きて身支度をする。
会所に行って様々な支度をする。
4時近くに御旅所に行き、東門より、中に入る。
中は暗いが、たくさんの人が入っている。
4時になると花火が上がる。
北門が開き、神輿が担ぎ出される。
一之宮、二之宮、三之宮に続いて、御本社も外へ出る。
番場の会所の前で四天を組む。
番場を出た後は、屋敷分へ。
屋敷分で、旧甲州街道を大国魂神社に向けて戻る。
途中片町の会所の寄ったとき、番場の会所へ一足先に行く。
そして朝食。茶飯のむすびに豚汁。
実に旨い。
食事を終えた後、番場三丁目を回って、神戸、西馬場へと神輿は廻る。
そして大鳥居をくぐって宮入り。
御本社の太鼓は、神輿の後について、神輿が再び外へ出ないようにする。
神輿は中雀門をくぐって拝殿前に。
先に入った神輿と共に、拝殿前で一揉みする。
そして、順番に神輿が白州に入る。
これで今年のお祭りも終わりだ。
我々は引き上げて、会所の片づけにかかった。

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