平成13年度 大国魂神社 例大祭

2001年5月3日

朝から雨。けっこう強く降ったりする。
これでは大変だ。でも、お祭りだ、やはり嬉しくなる。
神輿の飾り付けが、なかなかにはかどらないだろうし、会所の準備も大変だろうけど。
でも、嬉しいものは嬉しいのだ。
朝7時50分くらいに、会所の前に集合した。
リヤカーを用意して、宝物殿に向かう。
宝物殿前には、五之宮と六之宮がいたが、すぐに拝殿前へ移動してゆく。
宝物殿内には、御本社が残り、一之宮が宝物殿出口で支度中。
そして他には、修復したばかりの三之宮がいた。
三之宮は修復が終わったばかりだから、なるべく雨にあてたくはないのだろう。
もっとも、この雨は、三之宮が修理したからに違いない。
なにせ三之宮は、雨乞いに霊験あらたかな神輿だ。きっと、そうだろう。
以前3日に雨が降ったとき、その時は、確か三之宮の太鼓の新調があったときだった記憶がある。
やはり三之宮と雨は切っても切れない関係にあるんだろうよ。
と、御本社の方も支度をする。
みんなで台車に載せ変える。
「セーノォッ!!ソリャッ!」
の掛け声で、馬を抜き、台車を入れる。
そして、宝物殿の出入り口に運ぶ。
また、神輿をあげて台車から馬に変える。
二天を長い物に差し替えて、馬を二天にかけ直してから、楔を打つ。
細引きで鳳凰をがっちり固定し、飾り綱を掛ける。
神輿にブルーシートを掛ける。
準備が整った。
お白州に神輿を担いで入れる。
「みんな着けよーっ。」
「後ろ良いか?」「前は着いたか?」
声が飛ぶ。
「あげるぞっ!!腰までだぞっ!!」
「せーのっ!」
「そりゃ!!」
「馬抜け馬抜けッ!!!!」
ガラガラと馬を引き抜く。
「いいぞっ!!」
「ゆっくりゆっくり!!前だぞっ!!まえ!まえ!まえ!まえ!!」
「オイサ、おいさ、オイサ、ホイサ、ほいさ。」
「おいさ、ほいさ、ういさ。」
神輿がゆっくりと宝物殿を出る。
一年ぶりの外は雨だ。神輿にかかったブルーシートが雨に濡れる。
「いいかぁっ?!肩入れろぉーっ!!」
「肩入れろ入れろ!!」
「せ−のっ!!うりゃ!!せーのっ!!ほいざ!!」
「ほいさっほいさっほいさっほいさっほいさっ。」
俺も肩を入れる。
高さが合う。ちょうど良い。腰が入る。
中雀門脇を抜けて、拝殿の脇から本殿前の白州に。
ところが、、、、神輿は来たが、馬を誰も持ってこなかったらしい。
本殿前で、しばらく担いだまま待つ。雨はシトシトと降る。
辛いんだけどもなぁ?
ようやく馬が届く。
神輿を定位置に入れる。
写真を何枚か撮り、外へ出る。
リヤカーに、潮盛講の長持を積んで、番場屋さんまで運ぶ。
番場屋さんの前では、御本社の太鼓が運ばれて、打ち鳴らされている。
ドーン・・・・ドーン・・・・と、大太鼓の音が辺りに響く。
長持を番場屋さんに預けて、公会堂へ移動する。
続いて、ビールを2ケース。太鼓用として中久に買いにゆく。
すると車道に木村運送のトラックが。見ると人がトラックを押している。
後ろには屋敷分の青年がいて、これもトラックを押している。
「どうしたんですかー?」
と聞くと、
「ぼっこれたーっ。」
という答えが返ってきた。しかし、トラックを押すのは大変だろう。
そして、公会堂に戻って昼ご飯の準備。再び番場屋さんにリヤカーを持って移動し、ソバとウドンを積んで公会堂へ。
公会堂に運び込むと、太鼓を片づけた人達がやってきてビールを飲み、ソバをすする。
そして、散会後に我々も食事を摂る。
会所を設営中の大工さんも食事。
一息入れてから、我々も荷物を出して会所の準備をする。
テントを出し、設営。会所の受付用。
冷蔵庫や炊事道具を運び込み、祭壇をつくってお供物を用意する。
榊を飾り、御神酒を用意する。
祭壇には「官弊小社大国魂神社」と書かれた掛け軸が下がる。
提灯を用意して飾る。
高張り提灯を各所に掲げる。
電気屋さんが不慣れなせいか準備が遅い。
何とか支度が済む。
一息入れて、駒くらべの役割分担。
番場大警固一対。金棒一対。三之駒高張り一対。分担を行う。
今年も俺は警固を持つ。
神戸と西馬場がやってきて、番場会所前で整列。
片町会所で片町が入り、狭い旧街道をギチギチになって警固が並ぶ。
さらに屋敷分で屋敷分の警固が加わり、行列には人がグッと増える。
伊東さんの家に着いて、御神酒が振る舞われる。
お新香が旨い。
馬を連れ、大国魂神社に行列が向かう。
シャンコンシャンコンと金棒の音が響く。
府中街道と、甲州街道の交差点で大きく警固は広がる。
警固は、番場を中心に、神戸、片町、西馬場、屋敷分、と、外へ向かって並んでいる。
大鳥居をくぐる。
参道を通って随神門をくぐり、中雀門の左を通って社務所前へ。
二之駒と四之駒はすでに到着。
三之駒の定位置に馬を入れて、一之駒を待つ。
一之駒が到着し、神主によるお祓いを受けてからいったん中雀門の外に出て、拝殿前に並ぶ。
神職が拝殿にて神事を行い、一之駒から順に馬場大門欅並木へ。
各駒の前に警固と金棒、高張りがつく。
随神門を出たとろで騎手が騎乗。騎手は神職の格好をしている。
大鳥居を出て、欅並木へ出る。
欅並木には山車が囃子を止めて待っている。
屋敷分、本町、新宿、片町、番場、まだまだ奥の方まで山車が並んでいる。
そして神職席の前に各駒が揃い、神職が席に着く。
我々も、三之駒の役員席に入る。
準備が整い、馬が走る。拍手とどよめきがおこる。
口笛が鳴る。馬がいななく。
馬は欅並木を往復する。
往復する度にどよめきが起こり、三度往復したあと、騎手は神官の前で挨拶をする。
そして馬は神社に向かう、馬が欅並木を抜けて大鳥居の辺りに来ると、欅並木では椰子が再開される。
笛が鳴り、太鼓が鳴る。賑やかな囃子を背に、大鳥居前で役員の挨拶が行われる。
今年は二之駒の役員の挨拶の番である。
その後、三本締めで締めて、散会となる。
山車も各町に戻ってゆく。
我々は会所に戻り、会所開きを行う。
刺身を食い、ビールを飲んで、時間を見計らって解散。片づけ。
本会所を閉めたあと、一丁目のテントで飲む。そして片づけて解散。

2001年5月4日

朝9時に会所に集合。
提灯を並べ、高張りを掲げる。
子供神輿を飾り、買い物に行く。
時間が出来れば、お茶を飲んだりしつつ午前中を過ごす。
早めの昼食に、まかないのカレーを食べて、着替えをしてくる。
ダボシャツに股引。前掛けを着て半纏を羽織る。
帯を腰で締める。烏帽子を帯に下げて、地下足袋を履き、わらじを用意する。
会所に戻ると、子供神輿の支度をしている。
二天を差し替えて、四天を組む。
そっちを手伝ったあと、俺はわらじを水に浸して支度をする。
12時半に子供神輿を送り出し、いったん自宅に革の手袋を取りに行く。
しかし、どうにも見つからないので買ってしまう。
革手袋を持って会所に戻ると、太鼓が引き出されて、町内まわりの準備を始めていた。
準備中は、手丸を持って交通整理。
やがて準備が終わったあと、太鼓の車輪や引き綱、梶棒に安全を祈って御神酒をかける。
太鼓総代の挨拶が済み、御神酒が振る舞われる。
やがて、太鼓は出発する。
金棒が突き始められ、太鼓は片町の会所に向かう。我々は太鼓の先回りをして交通整理に勤しむ。
金棒の音が響き、ドーン・・・・ドーン・・・という太鼓の音が加わる。
シャン・コン・シャン・コン・オーライッ!・シャン・コン・ドーン・オーライッ!シャン・ドーン・コン・シャン・コン・ドーン・オーライッ!・・・・・
こんな感じで聞こえる。そしてゆっくりと太鼓は五ヶ町を進む。
太鼓は片町の会所で一休み。続いて、高安寺の脇を通過する。
そして、府中の税務署近くまで行く。ここにも片町の別の会所がありそこで休憩。
再び甲州街道へ戻り、弁慶橋を通って分倍河原商店街へ。
弁慶橋は今は橋自体はなく、その名のみが残る。
昔はこの近くに泉が湧き、川があったようだ。
分倍河原商店街に入った太鼓は、分倍河原の駅前でUターンして、分倍河原商店街の会所にて休憩。
ここで太鼓を叩く。少し戸惑うが、すぐに感覚を取り戻す。
太鼓は再び移動。屋敷分に入り、甲州街道を左に折れて裏道を行く。
浅間神社の手前に太鼓はでて、右に向かう。
再び甲州街道に出て左。すぐの所にある伊藤さんの家の前でUターン。
御神酒をいただいて、甲州街道を東に向かう。
屋敷分会所に寄り、番場片町北裏通りを通って、三好町公園にある会所や、途中の焼鳥屋などに寄りつつ府中街道へ。
府中街道では道が混む。太鼓は市民球場でUターンしてセザールマンションの所を右に。
番場三丁目会所で休み、裏道を通って南へ行く。
番場屋脇を通って、旧甲州街道を渡り、番場一丁目に。
番場一丁目児童部会所の前で一休み。
ここで俺は太鼓に上がる。
太鼓の上で警固を持つ。
「ホーライッ」
警固を下ろし、掛け声を掛ける。
俺はオーライではなく、ホーライが正しいと聞いたことがあるので、太鼓に上がったときは、「ホーライ」の掛け声である。
もっともこれでも「オーライ」に聞こえるだろうから、言わなければ判らないだろうが。
「ホーライッ!!」
俺が掛け声を掛けると叩き手は力一杯太鼓を叩く。
叩き手は人それぞれではあるが、「ほー」と警固が言う間に、ゆっくりとバチを振りかぶる。
そして、「らいっ!」と警固が提灯を上げると、一瞬バチをタメを入れて、体重を載せてバチを振るう。
バチに全部を預けるようにして、叩くと良いんだよ。という風に言う人もあるが、確かにそんな感じだ。
大太鼓は、腕の力では叩ききれない。イヤ、力で叩くものではない。
バチに体重を載せ、タイミングをとり、腰を入れて叩く。
身体全体を使って、身体のバネで叩くものだ。
俺が警固を勤める。何人か目で、親父が叩く。
俺が警固を入れ、親父が叩く。
出来れば、爺さんにも叩いてもらいたかった。
でも、きっと、あの世とやらで、この様子を見て喜んでくれていることだろう。
そして太鼓は出発する。
府中街道に太鼓は出る。ここで、本町の太鼓(前の御先払太鼓。現在は御霊宮太鼓。)に出会う。
府中街道と甲州街道の交差点の真ん中で、本町の太鼓とたたき合いをやる。
ここが見せ場だ。
叩き手も力が入る。警固にも力が入る。
たたき合いの後、本町の太鼓と別れて西馬場にはいる。
合同庁舎の脇を抜け、宮西商店街を通り欅並木をいったん北へ向かう。
保健所脇でUターンする。
今年も並木がとても綺麗だ。欅並木を南に戻って西馬場会所に入る。
西馬場会所で休み。西馬場会所からお宮の前に。
ここも見せ場だ。
叩き手も格好をつける。
俺は欅並木で警固を再び持ち、ここでも警固を。
しばらくここで太鼓は止まる。そして、神戸に寄る。
神戸会所から、番場へ戻る。府中街道と甲州街道との交差点で西からの山車行列と出会う。
叩き手も張り切る。
山車をやり過ごして、番場へはいる。
太鼓を番場会所前に止めると、東からの山車行列が来る。
しばらくそれを待たせて、太鼓の綱をほどく。
最後に俺が太鼓を叩いた。
それを打ち止めとして、太鼓総代からの挨拶があり、太鼓の町内周りが終わる。
その後、俺は山車に行く。いくつかの山車を写真に納め、会所に戻る。
お宮の前に番場の山車が差し掛かると喧嘩が始まった。
囃子保存会の本部役員に、番場青年が飛びかかったのだ。
お宮に、山車のハナを入れようとして、それを本部の人間に止められたことが発端らしい。
このことは、囃子保存会の会議で、どこの山車も禁止されていたということである。
青年は、毎年の決まりだと言って本部役員に飛びかかったようだが、そのような決まりは自分たちだけの勝手な決まりだ。
恥さらしもいいところだし、自分もこのようなことを記録にとどめたくはない。
実にもって、恥ずかしい限りである。
それはさておき、いったん会所に戻って一休みをしていると、番場の山車が戻り、子供達にお菓子を配る。
その後片づけをして、会所を閉めて解散。
一丁目のテントで飲む。
程良いところで解散。

2001年5月5日

ついに5日の朝が来た。
天気は良さそうだ。
9時に会所に行き、いつもの飾り付けをやる。
しばらく休んでいると、太鼓講中がやってくる。
10時になるとお宮に講中が挨拶に行くためうち揃って会所に挨拶に来る。
その後、片町に講中は行き、お宮に行くのだ。
きっと途中で、神戸にも寄るのだろう。
11時半に太鼓送り込み。番場会所に集合。
警固を持って行列につく。
屋敷分に向かい、また戻って、神戸、西馬場へ。
そしてお宮に向かう。
大鳥居前の交差点で、五六之宮太鼓を待つ。
待つ間に太鼓を叩いた。一膳叩く。送り込みで叩くのは初めてだ。
そうこうするウチに、太鼓はお宮にはいる。
随神門をくぐると、二之宮と三之宮のそれぞれの太鼓が叩き合っている。その中を、五六之宮の太鼓が定位置に入る。
警固が入り「オーライ」の掛け声がおこる。それに続いて太鼓が打ち鳴らされる。
御本社では、おいでの時以外は両面打ちは許さないが、他の太鼓では両面打ちを許している。
だから、狭い空間で、7面の太鼓が同時に打ち鳴らされ、警固が下ろされる。
勇壮な眺めだ。興奮をかき立てられる。
御本社の太鼓が定位置に入るのを待ち、俺は拝殿脇に行く。
御先払の太鼓が打ち鳴らされている。
そこへ御霊宮の太鼓が来る。
この二張りの太鼓は、役太鼓であり、別の格式を持っている。
遅れて、御本社と一之宮のお差し込みが来た。
お差し込みとは、神輿の位置を神事に備えて移動させ、不要な飾りを外す。
そのあと、神事が始まり、神様は神輿に移される。
我々は、お差し込みで外されたお飾りを受け取って、リヤカーに積んだ。
リヤカーを引いて会所に戻る。
その途中、自宅へトイレの為に寄る。
次は、午後3時半会所前集合。おいでが始まる。
俺が会所に行くと、みんながすでに集まっていた。
慌てて用意をして、手丸を持つ。
そして出発。
警固の先に出て、先導を勤める。
警固の正面には立たず、脇を進む。
正面に立つことは失礼に当たるのだ。
行列はお宮を目指して進む。
神戸で青年と合流した。
大鳥居前で六之宮と出会う。
六之宮の白丁着達は大鳥居前で「ホイサホイサ」と輪になって騒ぐ。
御本社・一之宮側から怒声が飛ぶ。
それでも騒ぎを止めない。六之宮がなかなか入りきらずに、怒声が強まる。
やっと、六之宮が入りきったので、行列が進み始める。
警固が、六之宮の連中を追い立てるように進む。
随神門前に、担ぎ棒2本を置く。
今年は、観客が手前まで来すぎている。
危ないことこの上ない。
随神門の向かって右側の観客を、警備の警官に下げさせる。
左側も手前に出ているが、まぁ、一之宮が出たとたんに薙ぎ倒されるだろうと思う。
警備の警官では、そんなことまでは判らないのだろう。面倒なので言わずにおく。
案の定、そこにいた観客は、一之宮が出た際に巻き込まれて薙ぎ倒され潰された。
府中の神輿見物は命がけである。遊び気分で来れば怪我する可能性も高い。
と、それはさておいて、担ぎ棒を入れてから、水を酌みに行く。
横木を縛るロップを締めるための水だ。
中雀門前は人が溢れ、今か今かと合図の花火が上がる瞬間を待ち受ける。
気温は間違いなく他より高いだろう。熱気が立ちこめ、ざわざわと落ち着かない雰囲気が漂う。
そうこうしてると、花火が上がった。
パンッパパンッと、花火が上がる。
ほんの一瞬、時間にしてmsかnsといったオーダーで静寂が訪れる。
次の瞬間、歓声がが上がり、一斉に大太鼓が打ち鳴らされ始める。
花火を境にして、今年も府中の熱い熱い時間が始まった。
太鼓の音がいくつも重なり腹を揺さぶる。
太鼓の上の警固が「オーライ」「オーライ」と掛け声を掛ける。
人々の叫びがひとつになって「うわーん」という何とも形容しがたい音になる。
金棒が突かれて、シャンコンシャンコンシャンコンと、その金属音を辺りに響かせる。
「ホイサホイサ」の掛け声が辺りに充満する。
血が騒ぐ。全身の血が沸騰しだす。
熱狂とは、まさにこのことだ。
ホイサホイサの声が一層高まり、一之宮の屋根が中雀門の格子から見え隠れし出す。
中雀門の中と外、掛け声がさらに高まり、中雀門が開かれる。
一之宮が出た!
いったん肩を抜いて、ゆっくりと神輿が外へ出る。
再び神輿が上がり、黒烏帽子が集る。
「ウリャ!ウリャ!オリャ!オリャ!ウリャ!!!!!」
大きく一之宮が揉まれる。
喜びを表すかのように神輿が揺れる。
と、一之宮が随神門に進みかけたとき、掲げられた手丸提灯が激しく動き出した。
喧嘩だ。
神輿が半ば降りたような状態になる。
興奮の渦がそこに現れる。
怒声が飛び、激しくもみ合う。人波が揺れる。提灯が揺れる。
どうにか収まり、一之宮が進み始める。
神輿は揉みに揉まれる。
随神門を神輿がくぐる。またいったん肩を抜いて、随神門をくぐる。
「肩抜けーっ!!肩抜け肩抜け!!」青年総代が叫ぶ。
神輿は抱えられて門を抜ける。
神輿が門を抜けると、一気に肩を入れて揉む。
「肩入れろっ!!それっ!!」
担ぎ手が飛びつく。あぶれていた者も隙を見て肩を入れる。
一之宮が激しく揉まれる。
先に書いた前に出ていた観客達に神輿が突っ込んで、巻き込まれた観客が薙ぎ倒される。
傍に有った警察車両から、「後ろに下がってください。」等と婦警がマイクでしゃべる。
その婦警に向けて怒声が飛ぶ。
「お前らが一番悪い!!」
見物人は前に出ようとする。それは致し方ないことだ。
しかし、警備の人間は安全を見込んで、それを押しとどめなければならない。
おいでの時に、神輿を完全に制御することは無理だ。しかも随神門前は、毎年混乱が起きる場所なのだ。
完全に警察のミスである。
しかし、神輿はまだ下ろされない。
さらに一揉みしてようやく下ろされる。
そして、横木の縛り直しをする。
その間に、二之宮は中雀門をくぐって激しく揉まれる。
太鼓も徐々に進みながら打ち鳴らされる。金棒の音、神輿の鈴の音、担ぎ手の掛け声。
一之宮が前に進むと二之宮も随神門をくぐる。
三之宮が中雀門をくぐる。
四之宮が出る。五之宮、六之宮が続く。
この頃になると、中雀門前もだいぶ空いてくる。
各宮に人がついて出ていくからだ。
御本社の警固が中雀門前に並ぶ。
御本社警固、番場、西馬場、屋敷分の順で中から外へ並ぶ。
中雀門の格子に、御本社の白い屋根が見え隠れしだす。
門の前でも、青年達が「ホイサホイサ」の掛け声をかけ始める。
赤い中雀門がゆっくりと開く。奥には御本社の姿が見える。
御本社がゆっくりと門をくぐり、中雀門前に出る。
そして、周りからイナゴのように担ぎ手が飛びつく。
中雀門前でお預けを喰っていた黒烏帽子の白丁着達だ。
神輿は激しく揉まれる。
神輿の金具が鳴る。
神輿は左右に練るようにしながら、随神門まで進み、いったん肩を抜いて門をくぐる。
このとき、小さな不手際が起こる。
前からの、いったん肩を抜けという指示が、後ろに伝わらなかったのだ。
もっとも、あの場で前からいくら怒鳴っても、後ろには聞こえない。
周りの伝達が遅れたのだ。
それから、何とか、随神門を抜ける。
神輿が上がった瞬間、たまらなくなって空いていたところに、肩を入れる。
大きく揉んで、神輿を下ろし馬が入る。
横木を縛りなおしているとき、もめ事が起こった。
喧嘩だ。
さっきの肩を抜けという指示に、従わなかったとでも言うのだろう。
番場青年が、屋敷分青年に手を出したのだ。
実に醜い手の出し方である。仲間割れだ。
そもそも、そんなことで殴りかかる必要は全くない。
元講ということを笠に着て、強いという言葉の意味をはき違えている。
俺に言わせれば、後ろに聞こえる位の声が出ない方が悪い。声が小さいだけだ。
いや、悪いとは言わぬ。声が通らないのであれば、気づいた者がすぐ後ろに走ればよい。
番場青年の評判は、ここ数年落ちる一方である。
番場町内の役員ですら、苦々しく思う者が大勢いる。
まったく恥ずかしいものだ。
元講であると自称して、人の上に立とうとするならば、謙虚に人に接するべきだ。
いや、元講だという自負があるなら、それはクチにせず、自らの態度で他の見本となって、元講の貫禄を示せばよい。
理にかなわぬ、自らの要求が通らないからと言って、人に殴りかかる。ハッキリ言って、愚か者たちだ。注記
そして、周りの人間が恥ずかしい喧嘩を何とか収束させる。
横木の付け直しが行われ、不要となった短い四天を神戸の会所に預ける。
神戸の会所から戻ると、馬も神戸に運んだようだ。
すでに宮乃神社への挨拶は終わったようだ。
御本社神輿の宮乃神社へのご挨拶は、今年より再開された。
ずっと昔は行っていたらしいが、いつしか廃れたようだが、今年から再開されたのだ。
宮乃神社の歴史は古く、大国魂神社と同じ頃に創建されたという。
その宮乃神社に挨拶をした後、御本社は渡御を再開し鳥居を出る。
御本社が無事鳥居を出たのを見届け、俺は太鼓に行くことにした。
太鼓の辺りにつくと、ちょうど日が暮れて提灯に火が入る時間となった。
まず、裏側で太鼓を叩く。
次に一休みしてから、表に廻って叩く。
そして、しばらく太鼓の台車に上がっている神輿を見ていると「上にあがれよ。」と声を掛けられた。
遠慮なく上にあがる。
いい眺めだ。
四之宮が御旅所に収まり、五之宮と六之宮が交差点内で揉まれている。
御本社が交差点に入る頃、五之宮が下ろされて御旅所に入る準備を始めた。
御本社と六之宮はホイサホイサの掛け声と共に交差点内を練る。
ここが最高の見せ場だ。
五之宮は輿長の挨拶の後、御旅所にはいる。
六之宮が続いて支度にかかり、御本社は一基で交差点内を渡御し続ける。
このとき、事故が起きたらしい。
御本社の神輿長が、神輿とガードレールに挟まれて、足の膝が陥没したのだ。
神輿長は担がれて外に出た後、そのまま病院に入院となってしまった。
そのようなドタバタがあったものの、神輿は最後の盛り上がりを見せる。
「ほいさほいさほいさほいさほいさ!」
御旅所北門前で激しく揉み。神輿が下ろされる。
輿長(番場自治会連合会長)が退場してしまったので、番場自治会連合副会長が代理で挨拶を勤める。
神輿は、横木を外されて、御旅所に収まる。
神輿が御旅所に収まると、太鼓が番場屋さんの前の仮小屋に戻る。
引き綱が伸びて、太鼓が動き出す。
大きく舵を切ったその時、太鼓がいきなり返る。
俺は身構えていたおかげで、なんとか堪えたが、後ろに乗っていた1人は落ちかけてしまう。
何とか太鼓の上に引き上げて、太鼓は小屋の前に。
上に人が乗ったまま、危うく小屋に入れられそうになる。
危なく転落するところだ。
太鼓を降り、しばらくするとそろそろ締めにはいるという。
「番場誰かいるか?最後に締めろ。」
という声があがり、誰も応じないので俺が出る。
結局あとにも何人か続いて叩くことになるのだが、おいでの最後に太鼓を叩いた。
その後で、さらに何人かが叩き、本当に打ち止め。
太鼓長の挨拶のあと、太鼓が仕舞われた。
その後、会所のかたづけを行い、昼飯で残っていた牛丼を食う。
腹一杯になったところで、解散した。
これで、お祭りも明日の朝まで。
いささか寂しいが、早めに就寝した。

2001年5月6日

午前3時起床。3時半に会所へ行く。
慌てて支度をして、御旅所にはいる。
4時になり、花火が上がる。太鼓が一斉に打ち鳴らされる。
一之宮から、順に神輿が出始める。
二之宮が続く。
さらに、三之宮が出たあと、御本社が続く。御旅所内の配置の都合上、こうなる。
その間にも、太鼓は打ち鳴らされ続ける。
まだ暗い夜空に、「オーライ」の掛け声と、打ち鳴らされる太鼓の音が響き渡る。
順次担ぎ出される神輿の担ぎ手の、「ホイサホイサ」の掛け声が、太鼓と共に各町内に別れてゆく。
御本社の神輿は、番場の会所へ向けて担がれる。
番場の会所に着くと、神輿を下ろして馬を入れる。
ここで横木をつけるのだ。
横木を縛り付けた神輿は、番場を出て甲州街道を一気に屋敷分へ向かう。
俺は金棒を持って行列についた。
屋敷分に向かう途中、夜が明け始める。
薄明かりの中で神輿は揺れる。
屋敷分にて、行列はUターンする。
Uターン地点で行列は一休みし、俺は御神酒をいただいた。
そのあと、屋敷分会所へ向かう。
屋敷分の会所で味噌汁をもらう。
実に旨い。
屋敷分の会所から、行列は片町に行く。
片町でも、おにぎりと味噌汁が出るが、アッと言う間になくなる。
今年の6日は休日だけあって、人出が非常に多い。
いつもなら、ここで一足先に番場に行くのだが、今年は金棒を突いているのでそれが出来ない。
行列は片町から、目と鼻の先、番場の会所に行く。
番場では、茶飯のむすびだ。そして豚汁。
実に旨い。むすびは何とか2つ確保する。豚汁も2杯たいらげる。
ここで、俺は臨時で勤めていた金棒を本職に引き継ぎ、馬の世話に廻った。
神輿が出るとき、馬を抜いてリヤカーに積む。
神輿は番場三丁目へ向かう。
次は神戸の会所で一休み。
ここで横木の間隔を狭くする。付け替えた四天を宝物殿の裏へ運ぶ。
さらに、神輿は朝の欅並木を抜けて西馬場へ向かう。
西馬場で休む間、太鼓を叩いた。
やはりお祭りに入ってすぐよりも良い。
自分でも良く叩けていると思った。
右は気持ちよく決まる。返しもなかなか良く入る。
太鼓が気持ち良く鳴っている。
力まずにバチが入る。
「オーライッ・・・ドーン・・・オーライッ・・・ドーン・・・オーライッ・・・ドーン・・・・ドーン・・・・ドーン・・・・ドーン・・・・ドーン」
欅並木に太鼓の音が響く。
しばらくすると、太鼓は一足先に大鳥居前に移動した。
一之宮がその後を追う。御本社もそれに続く。
五之宮と六之宮が、お宮ににはいるのを待ってあとから続く。
お宮にはいるときは、今まで先導を勤めていた各宮の太鼓が、神輿の後ろについて後ろを固める。
これはいったん入った神輿が、再び町に戻らないようにするためだ。
五六之宮の太鼓に続いて、一之宮がはいる。御本社がそれに続く。
御本社・一之宮の太鼓はそれをやり過ごし、最後尾を固める。
一之宮と御本社が、鳥居をくぐったところで左右に並ぶ。
2基が並んで揉まれる。
その後で、いったん神輿は下ろされる。
しばらく、先が進むのを待って神輿を上げる。
俺は馬を先まわりして本殿前に入れた。
とって返し、神輿につく。
隙を見て肩を入れる。
中雀門内は、観客と神輿とで、ものすごい人が集まっている。
御本社は最後に入るので、他の神輿が全て本殿前のお白州にはいるのを待つ。
ホイサホイサと、狭い中雀門前を担ぎ廻る。
土煙が上がる。
観客につっこみ、観客が逃げ回る。
最後の名残に何度も揉む。
五之宮が入り、六之宮が入る。一之宮が入る。
一之宮が完全に納まるのを待って、御本社がついにお白州に入る。
お白州の前で女の子は外される。
ゆっくりと本殿の前に行く。
中でひと揉みしてから、定位置につく。
本殿を正面に見ながら、最後にひと揉みする。
「ほりゃ、おりゃ、ほいざ、ほいさ、ほいさ、おりゃ、おいざ、おいさ」
みんな喉が枯れている。大きく揉んで肩を抜く。
馬が入る。神輿が下ろされ、昨日怪我をした神輿長に代わって、輿長代理から挨拶があった。
神輿の位置をきちんとなおし、全員外に出た。
鎮座祭が始まり、神様が本殿に戻られる。
その間、関係者は外で待つ。
では、また来年。


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