平成14年度 大国魂神社 例大祭

2002年4月30日

今年もこの季節になった。
役の半纏がウチに届いていたので、ちょっとうれしくなる。

2002年5月1日

夜、バイクのガスを入れに出た。
町には注連縄が張られている。
子供神輿の仮小屋も、太鼓の仮小屋も出来ている。
ガスを入れて、ちょっと嬉しくなってわざわざ欅並木を通ってもどる。
提灯が並んで出ている。
それを見てもっと嬉しくなった。
帰宅して、機嫌良く晩の食事を平らげた。
普段よりも、旨いメシだった。

2002年5月3日

朝7時起床。
着替えを済ましてから朝食を摂った。
朝食はホットビーフサンド、コーヒー、ヨーグルト。
少し早めの時間ではあったが待っているのもつまらないので、半纏を引っかけて公会堂の裏の倉庫へ向かう。
8時頃に人数がある程度集まったところで、まだ来ていない人は直接お宮に来てもらうことにする。
防災倉庫より、リヤカーを出してお宮へはいる。
8時10分頃にお宮に着いたが、すでに御本社も一之宮も出ていた。
本来は8時集合なのだが、みんな早い。
すでに2天のクサビまで入っていた。
しかし2天の左右が逆だったため、これをやり変えることになる。
クサビを外して、2天の左右を入れ替えた後、クサビを打ち直す。
次に、鳳凰を細引きの縄でしっかりと固定し、綱を掛ける。
俺が3日の日に飾り付けに出るようになって、もう十数年やってきたことだ。
飾り綱を、ああでもないこうでもないと言って、多くの船頭が口を挟みながら、締め直しをする。これも毎度毎度のことである。
無事、飾り綱が締まったところで、御本社の太鼓を出すために宝物殿にはいる。
太鼓を台車に載せるのだが、これも、毎年のようにへそ合わせで苦労をする。
へそというのは、太鼓の下に空いた穴のことで、これを台車の受け側にあるピンを合わせて、太鼓が台車からずれないようにするものである。
へそ合わせもなんとか済み、太鼓を宝物殿から出す。
俺は太鼓の梶棒をとってガラガラと引っ張る。
出口は角になっており、ここは狭いので舵を切って曲げるだけでは足りず、引きずるようにして方向転換する。
下が割と滑りがよいので、みんなで力を入れると案外と楽に向きが変わるのだ。
このようにして太鼓を宝物殿から出して、いったんは神輿の手前に置く。
次に「神輿を入れちゃうべぇよ。」ということで、神輿を拝殿と本殿の間のお白州に入れることになり、みなで担ぎ上げる。
やはり、毎年のことなので毎年のように俺も神輿に肩を入れる。
左後ろの天棒に入ったが、この棒には肩の強い人がおらず、下がるのが早い。
一番後ろに入り直して、少し上げたが、これ以上上がらないし、すぐにまた下がる。
俺ではとてもじゃないが、上げ続けるのは無理である。
大変な思いをしつつ、神輿を拝殿に入れる。
拝殿の定位置に神輿をつけ、神輿に締めを張る。
俺は太鼓の所に行った。皆が交代で叩きはじめたので、俺も軽く叩く。
やはり感覚がおかしい。返しがぜんぜん入らない。
一膳叩いてやめ、リヤカーの姿を探すと、すでに戻ったようだ。
太鼓と共に俺も公会堂に帰ることにした。
公会堂に俺が戻ると、他の人もだいぶ戻ってきていた。
しばし一服の後、今日の流れを初めて参加する方に説明をする。
その途中、太鼓総代から太鼓関係者の食事を急いで欲しいと言われ、その準備にはいる。
みな朝飯も食わずにさっさと出てきて準備をするので、こうなってしまう。
いずれにせよ、これは良いことではない。
決められた時間より遅れるのは良くないが、早くしすぎてしまうのも良くないのだ。
とは言うものの、文句を言うようなことでもないので、そばとうどん、ビールを2ケース用意する。
今年はかわきものを忘れてしまった。まぁ、かわきものが無くとも文句は出ない。
ビールが遅れでもしたらさんざ文句を言われるのだが。
なんとか太鼓関係者の食事も無事に済み、後は我々も食事をする。
朝から身体を動かしているので、腹が空く。
そばとうどんをたっぷり腹に詰め込んだ。腹が減っているのでとても美味い。
ビールも軽く飲んで、一息入れて午後からの仕事にそなえる。
11時半過ぎには飯を終える。
12時を前に、会所の設営をしている大工さんに、いつでも食事が出来ることを伝える。
公会堂の方をある程度片を付け、会所の準備をする。
流しやゴザ、テントなどを出して、次々と用意をしてゆく。
ある程度形が出来たところで、提灯を出して飾り付けをする。
今年は全体的に準備が早く済む。14時〜15時の間には会所が出来てしまう。
適当に休憩をとるように決め、家に帰る人はいったん帰る。
会所でも休憩がとれるので、お茶菓子などを買いに行って、お茶を飲む。
17時頃、俺も家に帰宅して着替えてくる。
ダボシャツに股引、腹掛けをして地下足袋を履く。
少しお茶を飲んで、家を出た。
これからお駒を迎えに行くのだ。
今年も大警固をもつ。
帰ってくると、ちょうど山車が出るところだ。片町の山車と一緒に向かうらしい。
出発の時点では子供が少なかった。
俺などが小さい時分には、最初から必ず待っていたものだが子供の数も減っているのだ。
これは致し方ない。
山車も無事に出発し、しばらくすると時間となり、西馬場と神戸がやってきた。
提灯に火を入れて、警固の位置につく。
金棒の音が響き、粛々と進む。
行列は出発し、片町が合流し、さらに屋敷分が合流してくる。
警固は各町1対なので、旧道を行くときは10人が前面に並ぶのはとてもキツイ。
弓形に並んでゆくことにするが、毎年どうも飛び出て並ぶ人が居る。
今年も1人飛び出て片町や神戸の人を隠してしまっている。
格好悪いことこの上ないし、各町の看板になる警固に対して失礼極まりない。
とまれ、行列は特に問題もなく屋敷分の伊藤さんの家について、清めの酒をいただいた。
そして、馬を列に加えて出発する。
お宮について、随神門から通用口を通って社務所前に行く。
全ての駒が社務所前に揃う。
神官からお祓いを受け、各駒は一之駒より順に通用門をいったん出て、中雀門をくぐって拝殿前に入る。
拝殿前には、西から一之駒から四之駒の順で並ぶ。
社務所からは神官と巫女さんが、京所青年に先導されて拝殿にはいる。
神官が神前に報告を行い、また一之駒から順に中雀門を出て、随神門をくぐったところで騎手が騎乗する。
欅並木に向かって行列は進む。
各駒の役員は欅並木の馬場に入ると、役員席に並ぶ。
神官が最後に到着し、神官の席に着く。
いよいよ駒くらべだ。
騎手が手を挙げつつ「×の駒いって参ります」と言い、駆けだしてゆく。
馬が往復する度に見物人からどよめきが起こり、口笛が飛ぶ。
馬は何度か並木を往復し、無事に戻った。
今度は神官を先頭に大鳥居まで戻る。
このとき、番場の山車がいち早く並木から出てくる。
後で聞くと静止を振り切ってのフライングだったそうだ。
こういうのは一番の悪い点だ。ルールは守らねばならない。
それはさておき、全ての役員が大鳥居に戻ると、今年は三之駒代表から挨拶があり、3本締めで締められる。
今年は皇孫誕生とのこともあり、また、おいでの時間を遅くできたということもあり、多いに盛り上がるであろう。
 
今年もお祭りが始まった。
 
そんな思いを胸にして会所に戻る。
会所開きも無事に済んで、解散となる。

2002年5月4日

8時起床。
朝食は、またビーフサンド。手抜きらしいが、別に苦にはならない。
今日は天気がいい。暑くなるだろう。
天気予報では曇り時々雨のはずが、えらく晴れている。
町内廻りは骨が折れるだろうと思いながら、身支度をして会所へ行く。
会所の準備を済ませて、一服しているとますます暑くなってくる。
いったん家に戻り、葛飾の友人を迎える。
今日の写真撮影は彼に頼むことにする。
11時過ぎ頃に、子供神輿を会所に持ってきて用意をはじめた。
飾り棒を抜き、長い天棒を差し込んで、楔を打ってから四天を組む。
これで縛りかたを覚えれば、どの神輿でも組むことが出来るようになる。
子供神輿の準備を済ませた頃、まかないのカレーライスが出来たので、昼飯を食べる。
熱いけど、とても美味い。
2杯目は、昨日の煮込みうどんをベースにカレーを入れて、カレーうどんにする。これも旨い。
食事を終えて、12時過ぎに子供神輿を送り出す。
万灯を先頭にして、子供神輿が3丁目の子供神輿と一緒に出発してゆく。
それを見送って、いったん帰宅して草鞋を用意する。
会所で草鞋を履けるように作り、地下足袋の上から草鞋を履いて、交通取締の提灯を用意する。
太鼓はその間に仮小屋から出され、ユニックで吊られて台車に載せられた。今年からユニックを使うことにしたようだ。
太鼓はその後会所前に移動し、綱を掛けられる。
この間、片側車線を潰すので、交通整理につく。
ようやく準備が終わり、太鼓総代からの挨拶があり町内廻りがスタートした。
今年も例年通り、番場会所を振り出しに太鼓は西へ向かう。
分倍河原では交通整理の用はないのでここで太鼓を一膳叩く。返しがどうしても上手く入らない。
どうせ1番調子が出るのは6日の朝だ。
色々と仕事を持っていると太鼓を叩くこともままならぬので、これは致し方ない。
町内廻りの交通整理も、各町でちゃんと割り振ってしまえばよいと思う。
番場を通る間は番場が交通整理にあたり、片町なら片町、屋敷分なら屋敷分、神戸は神戸、西馬場は西馬場。
こうやって交通整理に当たれば、一人あたりの負担も軽くなる。
しかし、そうはなっていないので、交通整理に関しては毎年のように番場の人間が常に先回りして差配している。
慣れている人間がやる方が良いと言えばそれまでだが。
その交通整理の甲斐もあって、太鼓は無事に伊藤家前でUターンして屋敷分会所へ行く。
伊藤家前も屋敷分会所前も、太鼓を歩道ギリギリまで寄せてもらい、差し替えをせずに済むようにしてもらう。
こうすることで、かなり負担が減るのだ。
屋敷分会所から美好町公園を通り、裏通りを東へ向かう。
途中焼鳥屋さんで焼き鳥が振る舞われる。
2本ばかり食べたが、とても美味い。
腹も空いてきたし気分も良いからなおさらだ。
これもお祭りだからである。
太鼓が出発したので、さらに先回りを続ける。
この道では、車を入れてしまうと擦れ違えないので、先に先に進み車を迂回させてゆく。
太鼓はさらに進み、府中街道を北へ向かう。
市民球場まで来て、太鼓はUターンし南へ戻り、セザールマンションの交差点を番場3丁目にはいる。
ココを入ると番場3丁目の会所がすぐにある。
トイレに入りたかったので番場北裏公会堂に飛び込み、小用を済ませた。
ここから先は交通整理の負担がグッと軽くなるので、上にあがってしまうことにする。
太鼓の後ろに回ってよいしょと上がる。
いい気分だ。
と、ここで、一悶着起こった。
悶着を起こした人間にも一理はあった。
しかし、接待の食べ物や飲み物の並んだ机を蹴飛ばしたのは良くない。
最初の原因に関しては仲間内のことであるので、それなりに収まる。
ただし、番場3丁目としては後々まで色々と声が挙がったようである。
太鼓は、番場3丁目の会所を出て、さらに番場1丁目へ向かう。
番場屋さんの脇を抜け、旧甲州街道を渡ると1丁目に入る。
1丁目には児童部の会所がある。
ここで警固を俺に変わった。
太鼓はここで休憩し、府中街道へ進む。
府中街道へ出るとき、本町の太鼓が角で待っていた。
もちろん話は事前にしてある。
盛り上がるべき所だ。
今年は市長が本町の太鼓に乗っているという。
それを聴いて一層盛り上がる。御本社の太鼓の人たちもみな前に勢いよく出てゆく。
興奮が周囲を包む。
そして府中街道に勢いよく出る御本社太鼓。
が、ブレーキを誰も踏まず、舵を切りきれない。
危うく太鼓が車に突っ込みそうになる。
上に乗っていた俺もかなり焦った。
なんとか太鼓は止まり、鼻先を北へ向ける。
旧甲州街道と府中街道の交差点で、本町の太鼓と並べて打ち合う。
ここで、毎年の事ながらおおいに盛り上がりを見せる。
やはりこうでないといけない。
しばし打ち合った後で、本町の太鼓と別れて、御本社の太鼓は西馬場に向かって裏道にはいる。
合同庁舎の脇を抜け、西馬場会所に西側からはいる。
いったん素通りして欅並木を北に向かい、20号を渡って保健所まで行ったところで折り返す。
とても気持ちが良い。
今年は早くから暖かかったせいか、欅の葉の色は新緑ではなくなってきている。
それでもやはり良いものだ。
太鼓は西馬場会所に入り、またしばらくの休憩。
ここで警固に灯を入れる。
と、西馬場の会所で警固が1つ燃えてしまう。
持っていた人間は最初気づかず、気づいたときにはメラメラと燃えていた。
今年新調した警固は下に放り投げられ、踏みつけられて消火される。
これでウン万円がゴミとなる。
西馬場で時間調整をした後、太鼓は欅並木をお宮に向かって進む。
大鳥居の前には本町と三之宮の太鼓が入っているようだ。
うちの太鼓が大鳥居に近づいてゆくと、旧道では山車の巡行が行われている。
ギャラリーも多い。
ちょうど番場の山車が東へ行く。
大鳥居手前に太鼓が来たところで、番場に続いて片町がやってくる。
片町の山車は頭を欅並木に振り、太鼓に向ける。
太鼓も負けじと打ち鳴らされる。
ホイサホイサの掛け声が起こり、おおいに盛り上がりを見せる。
祭りはこうでないといけない。
片町の山車はしばらくすると先に行き、次に屋敷分の山車が来る。
頭を向けようとする動きもあったが、結局そのまま行ってしまう。
「なんだよぉ」といった感じだ。
屋敷分ダメじゃねぇか〜!といった声も挙がる。
反省会で言っておけよ!なんて言う声も挙がる。そういう当人も笑いながら。
屋敷分の山車が行ったあと、いくつか山車が通り過ぎ、少々間が空いたので太鼓は欅並木から神戸へ向かう。
大鳥居前にしばし陣取り、太鼓は目一杯打ち鳴らされる。
叩き手にも警固にも力が入る。
一番の見せ場だ。
山車は賑やかに囃子を演奏し、3張の太鼓は勇ましく打ち鳴らされる。
高揚する瞬間だ。
太鼓はしばし交差点にとどまり、西へ抜けて神戸会所へゆく。
ここでしばらくの休憩をとる。
太鼓の上は人で一杯だ。
あたりは暗くなり、提灯の灯りが目立つようになっている。
ここでも一悶着起こる。
まぁ、これについては書き記さないことにしよう。
神戸の会所を太鼓が出ると、後は番場に向かって真っ直ぐ戻ってゆく。
旧道には町内の人も当然出ている。
警固をやりながら、知り人に気づいたときには会釈をする。
まもなく、太鼓は会所に着き、ここで上の人間は降りる。
上には1人だけ警固が残り、後はロープを解き始めた。
最後に俺も太鼓を叩く。
みんな町内廻りで飲んで回って酔っている。
適度に高揚したいい状態だ。
ロープも解き終わり、こうして町内廻りが終わる。
俺はここで山車の巡行の方へ行くことにした。
とりあえず会所から神社に向かって歩く。
番場の山車は神社の東あたりから、西へ向かってくるところだった。
役員に太鼓が終わったことを告げ、HPネタの写真などを撮りつつ山車について行く。
お宮の前を通り過ぎ、特に何事もなく山車は旧道から府中街道を北に向かってゆく。
ネタもある程度仕入れたので、ここで会所に戻る。
会所に戻ると、カレーの残りがあったのでそれを食べた。
腹が減っていたので、とても美味い。
しばらく休んでいると山車が戻ってきた。
子供のためにお菓子の用意。昔は俺ももらったものだ。
と、しばらくすると雨が降ってきた。
あわてて提灯を仕舞ってしまう。
少しすると雨は小降りになった。
番場の山車も仕舞いにかかっている。
と、そこへ本宿の山車がやってくる。
雨の中本宿に帰るのは大変だな。
しかし、本宿の山車は番場の山車に向け、青年会所に向け、本会所に向け。
テケテンテケテンと景気がよい。俺はとりあえず写真を押さえる。
いまさら慌てても、仕方がないといったところも、あるのだろうか。
本宿の山車が去り、番場の山車も仕舞ったところで会所を片付ける。
今日も終わった。明日は本番である。

2002年5月5日

今日は長くなる。
朝飯はお赤飯と煮染め。朝からメシが旨い。
9時頃になって会所に行く。
会所の準備をしてから、今日の役割分担をする。
俺は太鼓送り込みの大警固をもつことになった。
しばらくのんびりしていると、御本社の太鼓講中が集まってくる。
講中会所に集合した太鼓講中は、集まってきた後で町内の本会所に挨拶に来るのが通例だ。
講中渡しの提灯や腕章を揃えて準備をする。
講中が揃って挨拶に来た。
太鼓長からの挨拶があり、これに対して御本社神輿長が応じる。
そして、準備しておいた提灯などを渡す。
11時過ぎにいったん帰宅し、草鞋の準備をして会所へ戻る。
会所のお昼は牛丼なり。
牛丼を食べ終えて、講中が太鼓の仮小屋から太鼓を台車に載せる作業をはじめたので、写真を撮りに行った。
少々へそ合わせに時間がかかっていたが、何とか合わせて太鼓は会所の前に運ばれる。
会所の前でロープを締める作業がおこなわれる。
この間に俺は警固の用意をする。
次に例年通り町内代表として、神輿長から挨拶がある。
そして、太鼓長の挨拶があって太鼓引き渡しとなる。
まず、町内の代表が太鼓を叩き、太鼓長が次に叩く。
そして講中の主だった者が叩き始めるのである。
ひとしきり叩いた後、いよいよ送り込みである。太鼓は屋敷分に向かう。
今年は本当に暑い。昨日は日焼けで風呂に入ったら首筋がしみるほどだった。
汗をふきながら、大警固をもって先導をする。
屋敷分の伊藤家手前で折り返し、屋敷分の会所で小休止をとる。
日陰を探してはいる。
太鼓が出発すると次は片町、神戸へと行く。
神戸では少々時間を潰す。
道清めの時間とかち合うのだが、道清めの行列が参道半分当間出来たことを確認して、うちの太鼓は欅並木へ向かう。
道清めは新宿の仕事で、2列縦隊を組んで、右左交互にササラという竹の棒で道を叩き、神路を清浄にする。
叩くことで魔を払うというような、そんな意味があるのだろう。
と、話がそれたが太鼓は西馬場の会所で一休み。
時間調整をはかるため、しばしここで太鼓は休みを取る。
並木の涼しさが心地いい。
しばらく時間がありそうなので、警固をおいて叩きに行く。
まだ先は長いので1膳だけ。
だいぶ調子を取り戻して、返しがちゃんと入るようになった。
気持ちよく太鼓が鳴る。
西馬場会所では、欅並木にあるだけあってギャラリーも多い。
叩き手が交代するたびに拍手が起こる。
何人も交代で太鼓を叩き、時間となったので太鼓は会所を出てお宮に向かう。
欅並木の出口まで来ると、三之宮の太鼓がまだ入っていない。
当然、五六之宮もまだだ。
三之宮の太鼓の前には京所の万灯がついていた。
大鳥居前でさして見せたが、あえなく万灯は倒れてしまう。
そんなこんなでゆっくりと三之宮の太鼓が送り込まれ、続いて五六之宮の太鼓が入ってゆく。
続いて御本社の太鼓が中にはいる。
前をゆく五六之宮太鼓は随神門前で上に乗っている人間が降りる。
そして随神門の中に。御本社太鼓は上乗りの人がおりずとも通れるのでそのまま続く。
昔は太鼓はいったん門の前で止まり、走って太鼓を引いて中に入ったものだ。
当然上に乗る人間は、門をかわすようにしなければならない。
太鼓から落ちずに門を抜ければ拍手が飛ぶ。
最近は危険なのでやらないが、あれはあれで良いものだった。
とまれ、御本社太鼓も随神門前の定位置に収まり、これで太鼓の送り込みが完了した。
すると、ちょうど御本社と一之宮のお差し込みの行列がやってきた。
俺は差し込みの手伝いをしに中に入る。
準備を手伝いつつ、ネタとなる写真を撮る。
ここまで入れる人間はそう多くないので、良いチャンスである。
お差し込みが終わると、行列は流れ解散となる。
俺も会所に戻りいったん休憩した。
今年、俺はは白烏帽子で中にはいれることになった。
そして俺は手空きの時間なので、ちょっとウチに戻って細々とした用を済ませる。
再び会所に戻って時間待ち。その間に一之宮講中が来る。
その接待などを手伝う。
さらに時間は経ち、いよいよ神社へ向かう時間だ。
番場の会所に屋敷分と片町が行列を組んでやってくる。
番場の会所前にて整列しなおし、行列は神戸に向かう。
神戸では西馬場と神戸が行列にはいる。
ここで五ヶ町の青年総代が挨拶を行う。
刻々と時間は過ぎてゆく。
御本社一之宮の行列が神社に入るため大鳥居前まで進む。
が、ここで問題が起こる。
時間ギリギリになっても六之宮の行列がこないのだ。
時間が押しているのに欅並木で一席ぶっているらしい。
いらだつ御本社一之宮の講中一同。
六之宮などは多少時間に遅れようとどうでも良い。神輿を出す時間に対しては十分余裕がある。
しかし、一之宮は特に午後六時の発御に間に合わなくなる。
六之宮はそれを知ってか知らずか。
ようやく進んできたかと思うと、白丁着が円陣を組み、あるいは肩車をしてホイサホイサとゆっくりやってくる。
大鳥居前で気勢を上げて盛り上がる。
これもいつもの光景だが、この時間のない時に何をしているのかといったところだ。
こちらの苛立ちは最高潮に達する。
発御の僅か15分前である。
御本社一之宮の役員が六之宮早く入れと怒鳴る。円陣を突き崩し前に押しやる。
それでも、牛の小便のごとく長い時間を掛けて六之宮の行列は神社に入ってゆく。
ようやく行列が切れたところで、御本社一之宮の警固は強引に前に進み出す。
時間が間にあわねぇ。早く行け早く行けとの声が飛ぶ。
周囲が殺気立つ。俺はヤバイナァと思いつつ進む。
参道にはすでに太鼓が並んでおり、その脇を抜けるために狭い。
後ろから煽るように進んでゆく、殺気だった状態の御本社一之宮の行列。
六之宮総代がそれをなだめつつ、六之宮の行列に対しては急げと声を掛ける。
が、六之宮の1人の白丁着が、御本社一之宮警固に対し「なんだよ。おい。」的な発言をしてしまう。
原因は六之宮にあり、それに対しいらだつ人間に、原因となっている側の者がこのようなことを言えばもう止まるわけがない。
一触即発の空気を読めぬこの男、大馬鹿者だ。
拳が飛び交い出す。前を行く六之宮行列に一気に突っかかる。
いきなりポカポカと始まった。
六之宮行列を先へ先へと押しのけるようにしてすすむ。
結局、随神門前で六之宮行列をいったん止め、道を開けさせて先に出ることになる。
随神門をくぐり、さらに中雀門へ向かう。
特に急いで進む一之宮関係者。
今年は見物人も多い。
随神門と中雀門の間は関係者と見物人を含めて人でいっぱいだった。
その中を駆けるようにして中雀門に向かう。
と、その時また、騒動起こる。二之宮の仲間内での喧嘩だと話には聞いた。
中雀門内にはいると、そこは表と違って人出もなく閑散としている。
入れる人間が制限されているからだ。
中にはいると、中は静かで中雀門の外のざわめきが聞こえる。
しばらくすると、一之宮の関係者がお白州にすぐに入れるように集まってくる。
あと数分。ここから、いつものように時間がゆっくりと進む。
矢を放つ前に、ゆっくりと、しかし力強く弓を引き絞るような、そんな感じがする。
 
午後六時。
号砲3発。
引き絞られた弓弦が放たれた。
 
中雀門の外から、歓声が上がるのが聞こえる。
お白州の門が開けられ、一之宮関係者がドッと中にはいる。
一之宮神輿長の指示により、一之宮が上がった。
お白州から一之宮が出てくる。
一之宮は拝殿前にていったん下ろされて、四天を組む。
以前は随神門を出たところで四天を組む神輿が多かった。
時間短縮のために中雀門内で幅の狭い四天を組みそのまま御旅所まで行く神輿が増えた。
そのまま御旅所まで行かなくても、随神門までの僅かな間でも、担ぎ手を増やせるように中雀門内で四天を組む。
そして随神門を出たところで四天の組み直しをして幅を広げ、より安定して担げるようにする。
このため中雀門内で神輿は一度下ろされる。
その作業の間に、二之宮が出てきた。
10分間隔で神輿は発御する。そして、中雀門内に一度に出られる神輿は2基までだ。
前がつかえていれば、次が出ることは出来ない。
やがて一之宮の四天が組み終わり、再び神輿が上がる。
四天を組んだ神輿の担ぎ棒は空きがいっぱいある。
中雀門内に入れる役白丁の数は各宮40人だからだ。
我慢できないので、空いてるとこに肩を入れる。
「ホイサホイサ」
である。
やがて一之宮は中雀門の前に行く。
向こうから歓声がきこえる。
門の向こうでは、格子越しに一之宮の鳳凰が揺れ動くのが見えるはずだ。
その姿を見て、声を上げるのだ。
門をくぐる前に揉まれる一之宮。
門の外の声が高まる。
担ぎ手が肩を抜く。
一之宮が抱えられゆっくりと門に近づくと、門が開く。
ゆっくりと門をくぐる。
門を抜け、一斉に肩を入れて激しく揉まれる。
その時、すでに門は閉じられ、俺からは格子越しに鳳凰の後ろ姿が見えた。
 
中雀門の中は静かな神様の世界。中雀門の外は混沌とした人間の世界。
門の外では神様が降りてくるのを今か今かと待ち受け、その姿が目にはいると歓声が上がる。
そして、人間の世界に降りてきた神様にみんなが飛びついて、歓迎をするのだ。
そりゃそうだ。こんなに嬉しいこともないじゃないか。
 
そして二之宮が担ぎ上げられ、三之宮が出てくる。
三之宮も同様に四天を組む。
俺はネタとなる写真を仕込みつつ、三之宮にも入ってみた。
そして三之宮も外へ出てゆく。
四之宮も五之宮も。
この頃はすでにあたりは暗い。
中雀門内は各宮の三役しか提灯に火を入れることが出来ない。
暗い。暗闇祭りらしい風景だ。
提灯の灯りが揺れ動く。
と、いつの間にか六之宮までが出てくる。
前が詰まってきたせいかスローペースになってきた感もある。
五之宮が出てゆく。
六之宮に続いて、御本社が出てくる。
御本社が出てきたので、四天を縛る手伝いをする。
そして神輿が上がる
ホイサホイサと担がれ、神輿が中雀門前に来る。
外でもホイサホイサの声が高まる。
神輿がゆっくりと抱えられ、外に出てゆく。
神輿に続いて外に出ると、そこでは強力なライトとフラッシュの洪水が待っていた。
目が痛い。
神輿は随神門に向かって進む。
随神門でもいったん肩をぬいてゆっくりと門をくぐる。
そして門を出たところでいったん下ろし、四天を組みなおす。
幅を広げることで、神輿を安定させるのだ。
外した短い棒は神戸の会所へと運ぶ。
その四天を組み直した御本社の神輿は宮乃ロ羊(この字は強引に作ってます)神社にて渡御の挨拶を行う。
これは去年から復活した儀式だ。
宮乃ロ羊様に挨拶をした御本社の神輿は大鳥居に向かって進む。
この頃、御霊宮も随神門をくぐって参道に出てくる。
御霊の写真を撮ってないので、これを撮る。
先がつかえているようで、御本社は待ちになっているようだ。
六之宮が大鳥居をくぐって甲州街道に出た。
今年は俺の目には喧嘩は入っていない。これは珍しい。
そして、御本社も神輿を上げて前に進む。
大鳥居をくぐる。
イイところだ。
神輿は揉まれながら甲州街道へと進む。
大鳥居前の交差点で、神輿は右に左に揉まれながら担がれている。
興奮があたりを包んでいる。
俺も提灯を片手で上げて、神輿の天棒を押さえに入る。
そう、我慢が出来なくなってきたのだ。
 
血が沸騰する。
 
自他共に認める血統書付きのお祭り好きが黙っていられるわけがない。
天棒を押さえつつ、ホイサホイサの掛け声に熱が入ってくる。
そして提灯を他人に預けてしまう。
持っていた予備のロップも一緒に。
カメラをドンブリに押し込んで落ちないようにする。
「ホイサホイサホイサ!!」
神輿は少しずつ進む。
いったん神輿が降りたところで身支度をしなおす。
余計な物は手放す。貴重品はドンブリの奥に仕舞う。
再び神輿が上がる。
甲州街道と府中街道の交差点が近づく。
五之宮と六之宮が交差点内で揉まれている。御本社もその中に進む。
隙を見て、俺も担ぎに入った。
 
周りは人でいっぱいだ。
ライトの光がまぶしい。
すれ違う五之宮がキラキラと輝いている。
六之宮が近づいてくる。
ホイサホイサの掛け声。
神輿が揉まれる。
鈴が鳴る。
鳳凰が揺れる。
汗が流れる。
疲れとか苦痛とかを感じなくなってくる。
脳内麻薬が分泌さて居るのだろう。
この場にいる人たちの力を全て合わせたら、とんでもないことが出来るに違いない。
ものすごいエネルギーがこの狭い交差点に渦巻いている。
絶対にここの気温は他より高い。
 
最高だ。
 
嫌とか悪とか怒とか悲とか涙とか恐とか、1年分のイヤな物のその全てが、ここで燃えて消えてしまう。
そして、いつの間にか五之宮が御旅所に入ってしまった。
六之宮も居なくなる。
そして御本社も御旅所の門の前に向かう。
最後に神輿を揉む。時間をかけて揉む。
肩を抜く。
ゆっくりと下ろす。
神輿長からの挨拶があり、手締めでしめる。
最後にホイサホイサの掛け声が沸き起こる。
 
みんな。お祭りというものが楽しいのだ。

2002年5月6日

3時20分起床。
慌ててダボを着て股引に腹掛けを身につける。
地下足袋に草鞋を履いて半纏を引っかけ、烏帽子と帯を持って出る。
会所に行きながら烏帽子をかぶり、帯を締める。
4時少し前に御旅所に行く。
中は真っ暗だ。
しばらくすると人も増えて、4時ちょうどに花火が上がる。
一之宮から順に出る。
三之宮が出た後、御本社だ。
神輿が上がってすぐウマを抜く。
会所まで先回りして運んでしまう。
一之宮も御本社もここで四天を組む。
四天を組んだ神輿は屋敷分に向かう。
今年は人が多い。
屋敷分の伊藤家前でUターンして、そこで酒を振る舞われる。
次は屋敷分の会所で一休み。でてくるのは味噌汁だ。
旨い。
次に片町で神輿は休憩。
むすびを食べるが、ちょっとしょっぱい。
まだまだノンビリ、次の番場は茶飯のむすびと豚汁だ。
この豚汁はどこで食べる物よりも旨いのだ。
豚汁をすすって、茶飯を頬張る。
腹を満たして次に行く。
神輿は旧甲州街道から府中街道へ行く。
番場三丁目を回ってUターン。また旧甲州街道へ戻り、神戸へやってくる。
昨日発散したせいか、今日は気分がのんびりしている。
神戸を過ぎて、西馬場へ。
 
いつものお祭り。いつもの行事。いつもいつも同じだけれど、いつもそれが待ち遠しい。
 
そしてそのいつものお祭りは、いつものように終わりが近づいてきた。
太鼓が先に出て、大鳥居前へ向かう。
少し時間をおいて一之宮が出た。そして御本社も後に続く。
大鳥居の手前で太鼓は待つ。
一之宮も御本社も太鼓より前に出て神社に入る。
太鼓はそれに続き、再び町に神輿が出ないように後押さえとなる。
先が支えているので参道の半ばで待つ。
前に続いて随神門へ。さらに中雀門をくぐって中にはいる。
親父を見つけて、デジカメを親父の腹掛けに押し込んだ。
中雀門の中にはまだ他の神輿が残っている。全部で5〜6基が揉み合う。
大きな神輿がこれだけの敷地で揉み合う様子は壮観だ。
壊れても良いように、使い捨てカメラを持ってくりゃ良かった。
だが、写真では伝わるまいとも思った。
 
また明日から、待ち遠しく思う日々が始まる。


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