平成15年度 大国魂神社 例大祭

2003年5月5日

今年は3日も4日も暑かった。
顔もだいぶ焼けた。
5日になると、だいぶ疲れも溜まってくるが、朝はきっちり起きた。
というのは、疲れも例年よりはだいぶマシなのである。
普段であれば、4日の太鼓の町内周りにゆくと、終わる頃には足が火照り、なおかつ痛くてたまらなくなる。
今年はそれを防ぐことができたのが大きい。
これは、毎年の足の疲れ対策に入手した、足袋と中敷きのおかげだ。
この足袋は底がふつうのよりも厚く、衝撃を吸収しやすい。
そして、中敷きには衝撃吸収剤が使われているから、なおさら足に優しい。
はっきりいって、下手な運動靴より足に優しい。
そんなわけで、朝食を食べた後、身も軽く会所へと向かうことができた。

会所につくと、提灯を出し、子供神輿を飾るといった、朝の支度を済ませてしまう。
そして、細々とした用事を済ませた後、着替えをするためにいったん家に戻った。
会所に戻ってしばらくすると、昼食ができたので、これをもらって食べる。
11時半頃、太鼓の送り込みの準備が行われる。
いつもは送り込みの警固につくのだが、今年は別の用事がある。
と、いうのは金棒が1人しか決まっていないので、その穴埋めをすることになったのだ。
とりあえず、お差し込みにいかねばならぬので、時間を待つ。
しかし暑い。ビールが旨い。
そんなこんなで時間を待っていると、西から屋敷分と片町がやってくる。
金棒を持って行列につく。
しかし、なんか前方の風景が変だ、、、、結局これは後で気がつくのだが、高張りが金棒の前にいた。
本来、警固金棒高張りの順序なのだが、このときは気がつかず、そのまま行列は出発。
警固・高張り・金棒・・・・と、ちょっと間違った並びでお宮に向かう。
お宮に入る前、神戸の会所で神戸と西馬場が合流。
お宮は縁日を楽しむ人でいっぱいだ。
その人たちをかき分けるようにして中へ進む。

そうそう、縁日には、今年はお化け屋敷はなく、見せ物小屋が来ていたという。
※平成14年度からまた来はじめていたという話しもあり。
何年か前に、見せ物小屋は姿を見せなくなっていたのだが、復活したらしい。
昔はお化け屋敷と見せ物小屋が並んで建っていて、子供の時分にもあの怪しさの為についぞ入ったことはなかった。
今思えば惜しいことをしたものだ。
お化け屋敷の方は、根本的にオバケは恐いので入りたくない。
友達のお父さん(今はとても偉い人である)に抱っこされて入ったことがあるが、恐いのでよく覚えていない。
こちらは今持って惜しいとは思わないのであるが、いざ来ていないとなると寂しい。
縁日も、やはり昔は今はなくなってしまったものが色々とあったようで、サーカスが二つも来ていたことがあったらしい。
象が来たのを覚えているよ、、、なんていう人もいる。
年に一度のお祭り、他に楽しみも少なかったのだから、やはり非常な楽しみだったのだろう。
閑話休題。

行列は中雀門を入り神幸門へ。
神幸門の両側に警固が並んで両脇を固め、そこを役員と担ぎ手が中にはいる。
金棒はここで用が無くなるので、拝殿前を回って脇からお白州に入ることにする。
脇に回ると、リヤカーが来ていたのでそこに金棒を置いてしまう。
神輿の飾りを受け取りリヤカーに積んだのを確認して、リヤカーには先にかえってもらう。
神輿の位置を直したり、飾り綱にサラシを巻いたりするのを手伝ってから、写真を何枚か撮った。
そのあと、会所に戻って一休みする。おいでが遅くなったおかげで、これから少し時間がある。

太鼓が打ち止めになった後、今年は太鼓講中を公園で接待をすることになっている。
その接待の準備を手伝うことにし、ブルーシートを広げて講中の人たちに休んでもらえるように準備をした。
そして、リヤカーで、おでんなどを取りにゆく。
このとき、五ヶ町の他町の方が自主的に手伝ってくれた。
非常にありがたいことだ。

接待の準備を終えて会所に戻る。
時間は午後5時。5時半にお宮に向かえばよいのだが、早くも屋敷分と片町が番場の会所に到着してしまう。
番場の会所前で時間を合わせ、出発。いよいよ、おいでに向かうのだ。
行列は旧道を東へ、府中街道との交差点を渡りって神戸の町を進む。
神戸の会所で、神戸と西馬場と合流する。
行列をそこで整え直して、神社へはいる。
皆が興奮している。

神社に入り、行列は奥へ向かって進む。
参道の途中まで、お先払いの太鼓をはじめ、各宮の大太鼓が出てきている。
そこからは、参道東側の砂利の上を奥へ向かう。
随神門をくぐったところに、太鼓の最後尾となる御本社の太鼓がいる。
その脇を抜けて、中雀門の前面に着く。
もうじきだ。

白烏帽子をかぶった役の人が、中雀門の脇の小さな門から中へ入ってゆく。
それを脇目にみながら、警固が列をくみ金棒はその後ろに二列に並ぶ。
一之宮の高張りがさらに後ろについて、そのときを待つ。
時間的にはあとわずかだ。

午後6時。
号砲があがった。
しかし、1発目は不発だったような、、、、。
花火の上がる音はしたが、上で炸裂しなかったような、少し間が抜けた花火だった。
しかし、太鼓は花火の発射音に反応して打ち鳴らされはじめた。
周りから歓声が上がる。
同時に金棒が突かれ始め、太鼓の音と金棒の音と人々の歓声が一体となる。

中雀門の格子の向こうに金色に輝く鳳凰が揺れながら見えてくると、門の前ではより興奮が高まってくる。
ゆっくりと中雀門が開く。
一之宮の神輿が、まるで大きな人が腰をかがめてくぐり抜けるような感じで、ゆっくりと下がる。
そしてそのまま門をくぐり抜け、鳳凰が屋根にかからない位置でぐっとあがる。
あがった神輿はそこで大きく揉まれ、神輿はまるで万歳を繰り返すようにも見える。
そして、ようやく出てきた神輿に万歳をした人間たちが、イナゴのように飛びかかる。
行列はゆっくりと進み始め、御旅所へと向かい始める。

一之宮が随神門をくぐったところで、四天をやり直す。
横木を長いものにして、安定させる。
ここで一悶着あったようだが、これは例年通りといったところか。
一之宮はいったんあがると、一気に大鳥居まで来てしまう。
予定より20分早いらしい。なので、大鳥居のところで時間調整をする。
大鳥居から旧甲州街道に出たところで、番場、西馬場、屋敷分の警固と金棒は行列からはずれる。
御本社が出る前に中雀門前に戻るのだ。

中雀門前に戻ると、まもなく御本社が出る頃合いになる。
六之宮が出ていった後で、中雀門前に行列を組んで神輿が出るのを待ち受ける。
一から六がでたあとなので、中雀門前は人数も少なくなってきており、さほどの混み方ではなくなってきている。
御本社の鳳凰が、中雀門格子の向こうに見えてくる。
また、門がゆっくりと開き、御本社の神輿が中雀門を出る。
神輿は揉まれながら、参道を進み始める。
しかし、六之宮が随神門を出たところにまだいるため、先へは進めない。
でも、神輿は前に進もうとする。
こういうとき、金棒は左右交互に突くのをやめて、各自が連続的に突く。
これが1つの警報になるわけだ。
しかし、神輿のハナが警固の真後ろまで来ていると、さすがにこれをやる余裕はなくなる。
金棒を突くどころではなくなるし、金棒を突いて人の足を突く危険も出てくる。
そもそも、警固が踏ん張らなきゃならないような事態では、すでに警報の意味もなくなるというものだ。
ようやく六之宮が進んでいったので、随神門をくぐって前に出る。
随神門をくぐったところで、横木の付け替えのためにいったん下ろす。
横木を付け替えると、神輿が上がり、宮之盗_社の前に行く。
宮之盗_社は、大国魂神社の境内にある社で、御本社はここでご挨拶をするのだ。
ここの由来はよくは知らぬが重要な神社らしい。
なので簡単に調べてみた。

現在大国魂神社の公式HPによると、御祭神は天宇受売命(あめのうずめのみこと)他二神となっている。
ただ、調べた所によると須勢理比刀iすせりひめ)・奇稲田比刀iくしなだひめ)・木花咲耶比刀iこのはなさくやひめ)が元は祀られていたともいう。
この三柱の神様はそれぞれ、
須勢理比刀iすせりひめ):大国主命(おおくにぬしのみこと)の妃神。
奇稲田比刀iくしなだひめ):素戔鳴命(すさのおのみこと)の妃神。
木花咲耶比刀iこのはなさくやひめ):瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妃神だが、資料によっては素戔鳴命の妃神。
江戸名所図会には「宮之姫神社」と記載されており、そのまま素直にとると、宮の姫の神社と言うことになる。
現在の宮之唐ニいう社号の、最後の「刀vの字は「比刀iひめ)=姫(女神と考えればよい?)」の「め」と読む文字である。
これだけの材料で、素直に考えてみる。
素戔鳴命は大国主命の先祖(六代くらい前)又は、父神とも言われている。
その妃神の奇稲田比唐熕鞫cとなるし、木花咲耶比唐熨f戔鳴命の妃神とされている場合があり、つまり大国主命の母親となっている場合もある。
だから、宮之刀°{の姫=大国主命の奥さん(須勢理比刀jと先祖又は母親(奇稲田比登r木花咲耶比刀jと言うことになる。
実は、須勢理比唐ヘ素戔鳴命の娘なので、大国主命は兄妹もしくは親戚との結婚をしているということになるのだが、それはまた別の話。
脱線からさらに脱線になってしまうので、そちらへは筆を進めることはぬ。
ただ、御本社は宮之痘lへ挨拶をして御旅所に行く。
これがどういう事になるかというと、「大国主命は、御旅所に行くときに奥さんと母親に挨拶してから出かける。」
そう考えると、実に分かりやすい話となる。
まぁ、これはひとつのお話しのようなものである。あくまで想像にすぎぬことだ。
少なくとも現在は、宮之痘lは天宇受売命が祭神となっている。
それに、色々と調べてゆくと、大国魂神社が今の形となる上での変遷も関わってくる。
実は木花咲耶比唐フ旦那さんにあたる瓊瓊杵命も、江戸名所図会に六所宮の祭神として上がっている。
それをなぜ今のような形態にしたのか。あるいはなったのか。
祭神や神社の形態の変遷には政治等も絡んでくる。
歴史的な考察や、資料探しまで始めねばならぬことになってしまう。
だから、たぶんこんな簡単な話では済まないのだが、神様も奥さんに挨拶して出ていく方が親しみがある。
きっと奥さんに「帰りは明日の朝だから、先に寝てくれ。」とでも言って、出かけるのだ。
年に一度の夜遊び朝帰り。きっと神様も楽しいに違いない。

さておいて、神輿は宮之痘lのまえでご挨拶をして御旅所へと再び向かう。
参道を、右に左に揺れながら神輿は進む。
大鳥居をくぐり、甲州街道に出る。
甲州街道へ出てしばらく進んだところで、一悶着が起こった。
一之宮が収まり、一之宮についていた人は御本社にもやってくる。その時の話だ。
これもひどいことにならず、何とか収まりがつく。
玄人衆も多いので、なにかと危ないこともある。
神輿は交差点へ向けて進んでゆく。
このとき、五・六之宮が交差点におり、昔であれば、なんとか進むのを止めるところである。
しかし、だんだんに喧嘩も絶え、平和になってきた。
警固はタイミングをみて脇に外れ、神輿を進めてしまう。
狭い交差点を3基の神輿が揉み合う。
これを、一番良い場所から見ることが出来る。
たまらない。
三柱の神様がここにいらっしゃるわけだ。
考えてみれば、ありがたい光景ということにもなる。
やがて、五之宮が御旅所にはいる。
次に六之宮が御旅所にはいる。
御本社も、最後の渡御を楽しむ。
名残惜しげに神輿は揺れる。
最後に大きく揉まれ神輿が降りる。
十締めで締めて、横木をはずしにかかる。
そして神輿は御旅所へと入ってしまう。
寂しいけど仕方がない。


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