2005年5月3日
朝7時起床。朝食を摂る。
お宮へ到着すると、みな盛んにやっている。宝物殿から次々に神輿が引き出される。
今年は写真撮影等に専念をしていろいろと撮っていると四之宮が出てきた。
そうこうするうちに御本社も準備が終わり、例年通りドン尻で本殿前に運び込まれる。
外へ出るとすでに太鼓は町内に向かったようだ。後追いで自分も町内へ戻る。
とりあえず、お膳だけ並べてお茶の支度等々。
ビールの準備、そば・うどんの準備等を済ませ、後は太鼓のメンバーが来るのを待つ。
いよいよ、関係者も昼食を取れる段になり、ソバを手繰ることにする。
食事を済ませ、一休みする。そのうちに12時近くなったので、大工さんと電気屋さんを呼んで食事して貰う。
さて、いったん帰宅し平服の上に半纏を引っかけていたものを着替え、お祭りらしい格好になって会所へ戻る。
なんだかこれも毎年書いているような気もするが、気にするのはやめよう。
閑話休題。
馬を迎え、伊藤家により接待を受ける。主に御神酒とお新香だ。
準備が済み、行列は一之駒から再びいったん外へ出て、今度は中雀門から入り直す。
待つ内に報告祭も終わり、一之駒から順に欅並木へ向かう。
馬が規定の回数往復すると、騎手から神官に報告が行われる。
この後、自分たちは会所へ戻るのだが、今年は山車の写真を押さえて回る。
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2005年5月4日
朝食をとり、朝9時に会所へ行く。
さて、子供神輿の準備を済ませたら、4日は例年のごとくカレーライスである。
さて、子供神輿は、これまた例年通り番場三丁目の神輿が来るのを待って出発する。
子供神輿が出ると、次は太鼓の町内廻りである。
次に、太鼓をゴロゴロと会所前まで引いてくる。
ロップもかけ終わり、出発の挨拶があって、太鼓は出発する。
太鼓は再び旧甲州街道に戻り、分倍河原の商店街に入る。
さて、次は屋敷分の会所へ行き、さらに北裏へと進む。
そのまま旧甲州街道を渡り、番場一丁目の南裏へと太鼓は進む。
御霊の太鼓。
と、蘊蓄はおいといて、府中街道でその御霊の太鼓とかちあう。
御本社の太鼓はそのまま西馬場へと向かい、西馬場の会所で休み、今度は大鳥居前を神戸へ向かう。
さて、太鼓は神戸の会所へ寄り、番場へと向かう。府中街道との交差点で山車行列と行きあってしばらく停止。
山車がすべて行った後、太鼓は番場の会所前へ戻る。
そして4日も暮れてゆく。
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2005年5月5日
いよいよ本番の日だ。
ここで太鼓から離れて、来合わせたお差し込みの行列といっしょにお白州へ入り、各宮の撮影をする。
さて、いったん会所へ戻って、おいでを待つ。この時間はあんがいヒマがある。
時間になり、行列を組んで出発。
そんなこともありつつ、行列は再度出発して、お宮に入る。
今年は妙に気ぜわしい。
そして、5月5日午後6時を迎えた。あっけなく花火が鳴り響いてしまう。
担ぎ手の声、神輿の金具の鳴る音、金棒、打ち鳴らされる大太鼓、オーライの声。
お祭りは楽しい。
そう、毎年、お祭りは楽しい。
考えてみれば、我がお祭り暦もそれなりに長くなったものだ。
思い出してみると、普段の遊びもお祭りごっこはおおかった。
子供のころは早く大人の神輿が担ぎたくて仕方なかったし、太鼓も叩きたかった。
しかし、我がことながら、筋金入りだと思う。 閑話休題。
覚書。
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2005年5月6日
例によって早起きして、会所へ行く。
写真を撮って、頃合を見て本社を追いかける。
自分は神輿のウマの面倒を見なくてはならないので、西馬場からお宮に先行する。
さて、この後は膨大な写真整理が待つ。
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