平成18年度 大国魂神社 例大祭

2006年5月3日

朝起きて身支度をする。雪駄を突っかけて宝物殿にゆく。
8時すこし前に到着するが、裏の倉庫に行くとすでに天棒は外に出ていた。
正面に回ると、一之宮はすでにほとんど準備を終えていた。
いろいろな人と挨拶を交わす。
 
御本社も出されて準備を進めるが、梅祭りで使用したクサビ等が公会堂に行ってしまっていて、少し遅れが出る。
ようやく届いたクサビを入れて、鳳凰を下締めのロップで固定。
下締めのナンキン縛りのやり方は、今年、片町のS邸で勉強させていただいた。
だが、プロがやってくれたのでお任せする。
 
合間を見て少し太鼓を鳴らしてみる。玉砂利に雪駄で、足場が悪い。
そのうち御本社も準備が整って、お白州へと運ぶ。今年は三之宮が仕度が一番遅いようだ。
お白州ではすでに大工さんが御本社の小屋掛けの準備に入っている。今年は早い。
少々写真を撮り、新たに作った役白を受け取って町内へと戻る。
今年は四之宮は飾り綱が白になっていた。
二之宮は去年のお帰りのままだろうか、グリが乗ってい他が、後で鳳凰に戻したらしい。
六之宮にはグリが乗ってる。大きめなグリで、蕨手の小鳥は外していない。
個人的にはいまいち好みではない。
やはり五六は兄弟そっくりでいて欲しいと思うだが、これも外野の勝手な意見であろうと思う。
 
町内へ戻ると太鼓はすでに番場屋の前についていた。
代わる代わる叩いている。今年は太鼓を傷めぬよう、太鼓の仮小屋に入れるときはクレーンを使って台座に乗せる。
そのクレーンもすでに到着して、準備をしているところだ。
そうこうするうちに、アッという間に太鼓は吊られそうになるが、まだ公会堂の準備も出来てない。
今終わりにされても接待できぬゆえ、もう少し叩いていて欲しい旨を触れて回る。
そうしておいて関係者をまとめ、公会堂へ行く。
 
酒の仕度その他を差配し、準備がほぼ出来たところで太鼓関係者が到着する。
今年町内廻りでの試みとして、5張りの太鼓を鳥居前に並べる話を屋敷分の太皷総代から。
御先払、御霊、二之宮、三之宮、御本社の各太鼓が集まるというのだ。
そうして昼食時間が過ぎ、このころに梨花ちゃん(芸名)が到着。
昨年骨折をしているので、主にお留守番と料理番補佐としてきたのだ。
以前、我々も注文をした半纏のぬいぐるみ風ストラップが好評を博して、追加注文を取っている。
町内関係者が食事を済ませる。ビールを飲みながら蕎麦を食べ終えて、会所の設営をする。
奉納の鏡餅の受け取りや、これもお供物にする果物、榊などの買い物をいくつか手配。
品物の到着を待って飾り付け。
15時近くになって会所の設営も完了する。
 
待ち状態となっているところに、t.fumiが到着する。
t.fumiは高校・大学と同級で、何度か年番を頼んだこともある。
以来、年に一度、お祭りのいずれかの日に来て見物をして帰るのである。
 
さて、着替えを済ませ、そのうちに番場の山車を送り出す時間となる。
昭和58年に改装した山車だが、20年たった今、新材と古材とがちぐはぐな感じがしたものが、だいぶ調和してきたと思う。
山車を送り出した後、会所前を片町と屋敷分の山車が通り過ぎる。
さらにしばらくすると、神戸方面から行列が来る。
駒比べの行列だ。
今年は、番場の大警固をもって行列に加わる。
旧甲州街道は狭いので、五ヶ町の警固が横に並ぶと少々狭い。少しU字になって進む。
片町会所で片町が合流。屋敷分でまた合流。伊藤家に馬を迎えに行く。
そしてもうちょっとで到着というところで、番場の連合会長が一言。
「もう少しゆっくり歩いてくれ。」
なんのことはない、御礼のお酒をもってくるのを忘れたため、人が引き返して取りに行ったという。
そして、伊藤家着。ちょっと遅れたようだが何とかなったようだ。
 
清めの酒を一杯ご馳走になり、馬を伴って神社へ向かう。
途中、今度は早く行ってくれの指示。
なかなか忙しい。
時間が押してると言うことで、早足でお宮に入る。
今年は到着が一番遅かったようだ。
三之駒が一番最後に社務所前につき、乗り役の着替えを待って神官のお祓いを受ける。
そして一之駒より中雀門から入り直し、拝殿前に待つ。
神官が拝殿にて神前に報告。その後、行列は欅並木に向けて出る。
随神門を出た所で乗り役は騎乗。欅並木へと進む。大警固はこのとき一番気分がいい。
欅並木へはいると、三菱銀行前の役員席へ。こういうときも役得で一番前にいられる。
今年は、昨年の落馬事件があったせいか、神官席=駒比べの南折り返し点が少し北寄りになっていた。
昨年は馬が硬質ゴムが敷かれた範囲からオーバーランしてしまい、アスファルトの上に出て滑ったのだという。
おかげで名対面の儀を目の前で見ることが出来た。
名対面の儀は、御本社と一之宮の神輿長、つまり番場と神戸のトップが隔年で行う。
今年は一之宮の神輿長の番で、御本社神輿長は北の折り返し地点で誘導の役になる。
神官席前は発着点だけあって、目の前では馬の駆けてゆくスピードは抑えめになる。
代わりに儀式も良く見ることが出来る。
名対面の儀を終えて、各駒はスタート。あっというまに規定の往復をして帰着の挨拶。
終了後、今年は番場が挨拶をして三本締めで締める。
締めた後は、その場で流れ解散。
山車の写真を撮ってから会所へ戻る。
会所に戻って、今度は会所開きの準備。
合間に昼間の残りを煮込みにした、熱い蕎麦を食べる。
今年は9時より会所開き。
山車の戻りは遅く、9時半頃だったかな。
そして終わりは10時すぎだったろうか。
本会所を閉めた後は1丁目会所にて一杯。
さて、明日は町内廻りだ。
 

2006年5月4日

朝起きて身支度をする。
会所に行って提灯の飾り付け。
今日はまずは物資の買い出し。点検をして不足の物の買い出しを手配。
一段落したら、子供神輿の四天を縛り、拭き掃除をする。
会所にもだんだん人が集まってくる。
昼はいつものようにカレー。
ビールを飲みながら食べる。今年は天気が良く、気温が高いのでビールが美味しい。
そうこうするうちに、子供神輿を送り出す時間となり、子供神輿が出ていった後、太鼓の準備。
御本社の太鼓を小屋から出してクレーンで吊り、台車に降ろす。
台車に乗せた太鼓は会所前でロープをかける。
ロープをかけ終えたところで、まずは挨拶。そののち清めの酒が振る舞われる。
上に乗って片町会所まで。
片町で降りて、交通整理を手伝いつつ片町三丁目へ行く。
いつものコースだが、今年は分倍河原商店街に入らず。
会所がなくなったため、ここをとばして伊藤家まで行く。
途中、屋敷分の青年会所にて一杯ご馳走いただいて太鼓を追う。
交通整理を手伝うつもりが、再び太鼓に上がることになり、伊藤家まで。
伊藤家で降りた後は例年通り、屋敷分会所、美好町公園を経て府中街道、市民球場手前で折り返して番場三丁目。
ここで再び上がらせて貰って、番場一丁目。
府中街道に出る手前で警固を代わり、例年通り御霊宮太鼓とあって、御旅所前でたたき合う。
そして裏道へ入り、途中寄り道。
昨年亡くなられた方の家の前で追悼の儀をする。
再度出発。国際通りから欅並木へ、保健所手前でUターン。
西馬場会所を経て今年の目玉。
昨年、偶然にも御先払、御本社、御霊宮の各太鼓が遭遇し、盛り上がった。
それを元に、今年は申し合わせて、上記の三張の太鼓と、二之宮・三之宮の太鼓を加えて、大鳥居前で叩き合うという話が出たのだ。
御本社の太鼓は時間をうまく合わせて、大鳥居前に着く。
御先払が待っていて、叩き合いするところに本町の太鼓が来る。
3張りで叩き合い。
しかし、二之宮と三之宮の太鼓が来ない。後で聞くと10分ほど遅れたそうだ。
御本社は時間が押してきたので抜けて神戸会所着。
神戸会所で一休みした後、御旅所前交差点で山車の行列が通り過ぎるのを待つ。
番場を先頭に、各山車が入ってくる。
山車を待つ間、結構な時間がかかる。旧甲州街道は交通規制が入っているが、府中街道は普通に車が通っているためだ。
全ての西の山車が入った後、太鼓は番場の会所へ。
これで、町内廻りも終わりだ。
あとは山車行列の写真を押さえ、会所に戻る。番場の山車が戻った後、会所を閉める。
 

2006年5月5日

朝起きて食事をとり、会所へと向かう。
会所ではすでに女衆が野菜を切っていた。
昼飯の牛丼と、明日の朝の豚汁の支度だろう。
会所の飾り付けを済ませ、柏餅を買ってきて、お茶にする。
太鼓講中さんがだんだんと集まってくるので、挨拶を交わす。
このところ、方々のお祭りへもお邪魔させていただいているので知り合いが増えた。
そうこうするうちに、講中さんはずいぶんな人数が集まってきて、揃って会所へ挨拶をしに来た。
このあと講中さんは神社へ行ってお参りしてくる。
そしてお参りした講中さんが帰ってきたところへ、煮染めとビールを出す。
今年は連日の暑さで、講中さんの人数も多いのでビールの追加が必要となった。
なにせ毎日雨が一滴も降らないというのは珍しい。
 
暑い暑いと言ってるところへ牛丼ができあがる。
ビールを飲みながら牛丼をごちそうになる。
お代わりした分も平らげる。つけ合わせのキュウリがうまかった。
 
腹が満ちたところで、良い時分だろうと太鼓小屋へ行く。
すると、太鼓小屋のまわりには人が集まりだしている。
太鼓は台を表に引きずり出し、クレーンで吊って台車に乗せる。
例年通り、太鼓は講中さんたちが、会所の前でロップをかける。
ロップは、太鼓にかける綱と引き綱は町内が管理しているものを使うが、命綱は講中が持ってくる。
 
太鼓の準備が済むと、太鼓の引渡し式を行う。
通常、太鼓は町内が管理しており、この引渡し式を済ませると講中が太鼓長の元で一切の責任を持って運行することになる。
引渡し式では、まず番場の総代が挨拶をし、太鼓をたたき、次いで太鼓長が叩く。
さらに、講中の主だったもの、さらに町内のものが叩き、出発する手はずとなる。
番場の会所を出た太鼓は、五ヶ町の警固と金棒に先導されていったん屋敷分まで行き、今はいなげや前の交差点でUターンする。
そして、屋敷分の会所、片町の会所へより、各会所では簡単な接待を受けながら、神戸、西馬場と進み、神社へ入る。
神社の前でササラを用意して、太鼓は警固と金棒、続いてササラに先導されて宮入りする。
神社へ入った太鼓は隋神門をくぐり、宝物殿前のスペースに収められる。
 
そして例年通り、御霊入れ直前の神輿を写真に収めて、会所へ戻る。
会所には、仲間内で相談をしていたビールが到着していたので、これをもって某会所まで差し入れに。
昨年、お世話になったかたがたへの差し入れである。
 
無事に差し入れを持っていったあと、いったん自宅にて写真のデータをPCに保存する。
データ量が非常に増えており、また充電する必要もあるなど、なかなか困難。
何とか充電を済ませ、会所へもどる。
会所では一ノ宮の方々が集まってきており、御挨拶をする。
今は三々五々集まってこられるのだが、いつか、一ノ宮の神輿を昔のように担いでくる様子が見たいと思う。
昔は一ノ宮から神輿がくるのを待って、お祭りが始まった。
そういっていた祖父の言葉が忘れられない。
 
さて、時間となり、会所には大勢の人が集まってくる。
そろそろ出発する時間だ。
警固が並び、金棒をついて行列は進む。
いよいよ、おいでが始まる。
 
隋神門の中は今年から一般人の立ち入りが禁止された。
昨年はいろいろと混乱が多かったためだが、非常に楽に人数が入れるようになった。
昨年は一般人(一説によるとあれは遊び人であって一般ではないという声もあった)が喧嘩に巻き込まれた。
最も巻き込まれた理由というのは、最初に件の一般人が半纏を着た役員にチョッカイをだしたとかだしてないとかっていう話もある。
もしそれが本当なら、なにを云わんやというところ。
 
それ以外に去年は隋神門前で警官が負傷したらしい。
三之宮が上がる時だかに輿がよたって、灯篭と輿の間に挟まったのだという。
まぁ、聞いただけだからなんとも言いようが無いが、ただ、これは公務中の怪我だし、警備にきて怪我をするようなのが来てるのもどうか・・・というところ。
もっとも、お祭りを知らない人が「おいで」の中にまぎれて込んでいれば、こういうこともあるかと思う。
警察だって、お祭りを知らなければ新撰組事件のようなことも起こしてしまうので、このあたりは官側もよくお祭りを理解していないと起こりうることである。
全てがそうとはいわないが役人体質、権力を嵩に着た態度をとる警官もよく見かける。
そういう人が上になって、警察の理屈だけでやろうとしては当然問題も起こるだろう。
相互に理解を深めねばならないことだけにとても難しい。
お祭りのときに、親切に交番のトイレを貸してくれたりするおまわりさんも多いので、そういう人ばかりならよいのだけど。
 
さて、おいでが始まる。
花火を待っている間、御本社太鼓の裏面側では町内が一番太鼓の順番でごちゃごちゃとやってる。
これも例年どおり、表面の整然としている講中とは大きく違う。
みんなうれしそうに話している。
緊張感が漂うなか、みんなの笑顔はよい笑顔だ。
 
そろそろ時間がくる。
カウントダウンが始めるひとがいる。
カウントゼロ・・・から、一呼吸置いて花火が上がる。
 
大きな歓声。
 
奪われぬように、太鼓総代が抱きかかえていたバチを、一番太鼓の叩き手が手にし、3発入れる。
3発交代で2番、3番と叩き手は変わる。
脇では順番抜かしをされぬように、前の順番のものの腰を抱く形で、ぎっちりと列をなす。
3発回しで次々と叩き手は交代し、一段落のところで警固が入り始める。
 
今年はなぜか進むのが遅く、一之宮が出るまでにだいぶ時間がかかった感じがする。
一之宮が出てからも、前の太鼓が進まず。
ただ、先が進みだすと割合スムーズに流れていった感じだ。
最初はもたついたようで、一之宮が出て二之宮が続き、今年は三之宮が出たころには真っ暗だった。
昨年は三之宮までは何とか明るかった記憶がある。
 
各宮が滞りなく出て、御本社がようやく出た。
隋神門をくぐり、そこでトンボを長いものに換える。
そして、暗い参道をすすみ、御本社だけは宮之痘lの前にいったん神輿を下ろしてお参りをする。
二礼二拍手一礼でお参りを済ませ、神輿が上がる際に府中小唄が唄われる。
これは番場をはじめとした青年が考えたものだが、なかなか風情があっていい。
 
唄い終わったところで神輿が上がる。
大鳥居をくぐり、甲州街道へ出る。
 
今年は御旅所前に入った時、五之宮が直前に降りてしまったのが残念だった。
 

2006年5月6日

朝起きて、被布を着て出る。
思いのほか寒くなかったので、後で脱ぐことになる。
 
4時に号砲が上がり、各宮が出るのを写真に収める。
御本社一之宮は、例年どおり番場会所前で四天を組む。
6日はいつものようにゆるゆると屋敷分へ行き、ゆるゆると帰ってくる。
今年の変わったことといえば、番場の会所の名物である豚汁に加え、すいとんが始まったこと。
豚汁の旨さは相変わらずだが、このすいとんも絶品である。
 
また、これも番場会所でのことだが、御本社の神輿が番場の会所をでるとき、昔の担ぎ方というのをやった。
まずは青年に手を出させず、昔を知っている年寄りたちだけで神輿を上げた。
そして昔の担ぎ方というのは、動画にも収めているがこういうものだ。
今の神輿は、前も後ろもきちんと進行方向を向いて担ぐ。
しかし、昔はてんでんばらばらに向いて担いでいた。
前は前を向くし、後ろは後ろで自分たちが前だといわんばかりに神輿に尻を向けて担ぐ。
すると、面白いことに神輿はぐるぐる回ろうとする。
確かに綺麗ではないが見ていて面白い。
右に左にぐるぐるとゆれながら進む。
できれば、おいでで見てみたいものである。
 
さて、神輿は番場三丁目を経て神戸から西馬場へ。
今年も最後の中雀門の中で門で、無事に収まった。

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