感想
一之宮から六之宮を全て周り、驚いたのは三之宮と五之宮だ。
氷川神社は、総社の中では三之宮だが、武藏国一之宮とされ、延喜式では名神大社。
さらには明治期に官幣大社。
大宮の名の起こりというだけあり、この長い参道はバイクで脇を走っても長いと感ずるほどであった。
次の五之宮、これも当然なのであろうが。
武藏国二之宮の格式をもつだけあって、鬱蒼とした森の中にあるあの雰囲気は、他にはないものだった。
そして、気に入ったのは、二之宮の境内の明るさ。
境内からの眺めも良くて、天気の良い日は弁当でも持っていって時間をつぶせそうなところだった。
四之宮は少し観光地化されすぎていた。
たまたま観光バスの人とかち合ったせいもあるのだろうけれど。
もう少し静かだといいかも知れない。
全体的には、どの神社もひどく荒れ果ててるわけでもなく、その辺の小さな神社よりは手入れがされている。
普通に地元から大事にされている感じだ。
面白いのは、一、二、六の各社は小さなお宮で、三、四、五はそれぞれ大きなお宮。
三之宮はもちろん、四之宮や五之宮では、総社大国魂神社のことについて誇示する傾向はなかった。
誇示どころか、まったく触れてないことも。
それぞれ、独自のものを持った、大きな神社だからであろう。
逆に、小さいお宮ではそれが違う。
一之宮は旧郷社であり菊紋を使える格式はないはずなのであるが、遠慮なくそこかしこに使っていたりする。
これは大国魂神社との繋がりにより、使用してしまっているものだろう。
しかし、少々誇示しすぎと感じるほど菊の紋が入っている。
普通は、あまり紋など入れる場所ではないような部分にも菊の紋を入れてしまっている。
ここから感じるのは、ある種の一之宮の地元人の神社に対する愛というか、氏子の熱意というか。
そういうものを感じるが、ちょっと行き過ぎなような気もするのも、事実である。
また、六之宮についても、総社の六之宮であるということが、そこかしこに明記されていて。
式内社(実際には式内論社としか言えないのだが)だということとともに、いろいろなところに書いてある。
賽銭箱に、ちゃっかりと菊紋が入っていたり。
社碑からして「延喜式内社 武藏総社六之宮 杉山神社」と、社号の杉山神社よりそれ以外の部分が多い。
どちらも、凄いんだぞ凄いんだぞ・・・・と、背伸びしてるような感じがしたのは、そういう部分だろう。
対照的に、二之宮はあまりそういうことを誇示しておらず、比較的好ましいなぁという感じがした。
総社とか格式以前に、地元から素のままで愛されているような、そういう好い印象があった。
まぁ、名前が思い切り二之宮神社なので、誇示してるじゃないか?と言えばその通りだが、漂う雰囲気はよいものだった。
社号以外には、説明文を読むとちょっと触れているくらいで、総社とかの名を借りて誇示する感じはしなかった。
格式とか何とか、そういうことももちろん大事なのだけれど。
逆に大国魂神社の氏子としては、あまりそういうことに拘らず、日々の生活の中でお宮を大事にしていきたいと思った。
しかし、一通り巡ってみて。
一之宮から六之宮。これは地図で見てもらうと判るのだが。
この順序って、格の高さだけではなくて、巡る順番の都合がだいぶ含まれるじゃないか?
なんてことを思った。
府中から一之宮、二之宮はすぐだし、そこから北西に向かって三之宮。
秩父の四之宮、そこから北へ五之宮へと足を延ばして引き返す。
そして最後に、南に戻って六之宮。あんがい廻りやすいのだ。
なんの根拠もない話ですけどね。
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