先代 新宿町山車
製作年不明 この山車は新宿町の二代目の山車。 三代目 二代目の山車は大正11年、当時の金額で1200円で現在の立川市砂川八番(当時 砂川村)より購入。 新宿に山車を持ってきたのはすもも祭りの日だったという。 当時の砂川村は一番から十番までの組に分かれており、全ての組に山車があったという。 この山車は明治期に製作された物で、砂川は当時養蚕で栄え、その経済力を持って立派な山車が多く作られていた。 しかし、その後の景気の悪化などにより、砂川の各組は全て山車を手放してしまう。 この新宿に買われた山車は、他の砂川出身の山車に比べると見劣りがすることも事実で、砂川村で新造された山車の大部分が今でも活躍しているのに対し、残念ながら解体されてしまった。 なお、砂川の山車の行方は以下の通り。 砂川村一番組 → 羽村市 東町 砂川村二番組 → 不明(廃棄説あり) 砂川村三番組 → あきる野市 平井加美町 砂川村四番組 → 所沢市 御幸町(他説あり) 砂川村五番組 → 飯能市 二丁目 砂川村六番組 → 羽村市 奈賀町 砂川村七番組 → 所沢市 有楽町 砂川村八番組 → 府中市 新宿町 砂川村九番組 → 瑞穂町 殿ヶ谷 砂川村十番組 → 府中市 片町 ちなみに、1200円という額は、当時の大卒初任給が大体50円とのことなので、その24倍。 現在でいえば、大卒初任給で大体20万程度なので480万ほどということになる。 ついでに、当時ビールの大瓶は39銭だったようなので、現在の価格320円に対し約1/820だった。 当時の1200円をこれに当てはめると、1200×820=984000。 98万4千円ということになる。 なお、新宿の初代山車は出所は不明で、現在は行方不明。 この二代目の山車を購入後は東馬場に譲られ、何年か使用されていたらしい。 しかし、山車小屋が立ち退きにあった際に解体され、行方不明だという |