大国魂神社 例大祭 くらやみ祭り

くらやみ祭り 西の山車 (府中囃子 目黒流) 番場町(ばんばちょう)



番場

番場山車
番場町の山車。
明治5年頃製作とされる。
昭和39年に立川市曙町より購入。
昭和57年より大改修、昭和58年完成(伊藤工務店施工)
平成22年から23年にかけて改修、平成23年6月に披露。
現在の山車は番場としては三代目。  先代  二代目   三代目(昭和58年 改修前)   三代目(平成23年 改修前)
この山車は明治期製作という。一説によると、新調したのは、現在の瑞穂町あたりではないかという説がある。前所有は前出のごとく立川市曙町。
番場で購入後、昭和58年に大改修をして、車台を少し上げて彫り物などを追加し、5月1日に、披露目(当時:忠実屋駐車場にて)を行った。
話によれば、購入当初は一本柱を建てられるようになっている「一本柱人形山車」であったという話である。
ただし、立てるべき柱などは付属しておらず、山車に一本柱を立てる設備が残った状態で購入したということである。
改修などの際に、そうした設備は外されている。
平成23年には更に改修を行っており、舞台は高欄に戻し、各部の彫り物を変更。
彫り物はありきたりのものではなく、暗闇祭りの様子を木彫りにしたもの。
大太鼓、品川潮盛講、道清め、駒比べの様子を入れている。
また、後部に補強をかねて入れた彫り物は大国主命の伝説を主にしている。
黄泉の国で鏑矢を取りに行ったときの話や、須勢理毘売(スセリビメ)と共に黄泉の国から戻る様子が彫刻されている。
また、府中らしく野口仮屋の儀の元となった一夜の宿の様子が彫られている。
 
番場に囃子が伝わった課程はというと、物の本によると番場の囃子は本町より伝えられたということで、時期的には昭和のはじめ。
なお、それ以前は余所から囃子手が来ていたということで、府中の他の町でも自前の
囃子連が出来る前は同様だったという。 一説によると番場へは小金井の貫井から囃子手が来たといい、本町経由で貫井からの囃子が伝わっている。その縁もあって、一時中断した貫井囃子の再開の際には、番場から再伝授している。
大正13年の写真とされる古い写真に、番場の山車が写っているが、これは所沢からの借り物。
盛留をつけた姿から、所沢の御幸町の山車と思われ、写真で照合したところ一致した。
素晴らしい彫刻の山車である。
手古舞の姿も写っており、往時の山車行列の様子が偲ばれる。
ちなみに、御幸町の山車は現存し、所沢祭りで見ることが出来る。
 
番場町は府中三ヵ町の1つの番場宿であり、脇本陣があった。
多摩郡府中領のうちで、幕府領。
古くは旧家矢嶋家の先祖茂右衛門の名を冠し、茂右衛門宿と称していた。
その後、寛永13年から番場宿となったとされる。
幕末の村高は1010石ほど。松村忠四郎支配所、寺領25石余。
化政期の家数103軒。天保期には旅籠13軒 飯売旅籠3軒を数える。筆者の家もそのうちの1軒である。
当宿から東の方では六所宮(大国魂神社)を忌んで正月門松を立てず、ただ竹のみを立てる。
明治において、本町、新宿、六所神領(八幡宿)と合わさって府中駅となり、府中四ヵ町を形成する1つとなった。その後、府中駅は屋敷分村と合併し、さらに府中町と改称される。


 
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