番場町山車(改修前)
明治5年頃製作 現在の山車の昭和58年の改修前の写真である。この山車は番場町としては三代目。 初代 二代目 三代目(昭和58年 改修後) この山車が番場にきたいきさつは面白い物で、昭和39年に立川の砂川九番のガソリンスタンドの近くに、売り札をつけて置いてあったという。 持ち主は曙町で、山車小屋の地所が売りに出されたため、売却されることになったようだ。 当時25万円で売りに出ており、これを囃子のテープを寄贈する条件に22万5千円に値切って買った。 この交渉などは、当時の青年だった中村登氏が行っており、それも町内に話をせず、独断で借金をして買ったという。 この山車の売却話は、いくつかの市町村ではすでに流布されており、いくつかの引取りの話はあった。 府中でも本町などに話がいっており、山車の下見をしに行ったというが、山車の構造を見て、長持ちしないだろうということで手を引いたという。 これらの引き合い話を聞いた中村氏はあわてて金策を行い、その目鼻がついたかどうかという状況で購入の約束をしたという。 当時、町内では山車の購入話を聞きいて慌てて会合を開いたが、その会合をしているとき、すでに山車は青年の手で購入が決められていた。 あわてて役員が現地に行くと、すでに山車の上で青年が囃子をやっており、先方の曙町の会長さんからは「ありがとうございます」とお礼を言われた。 それを聞き、町内の役員は呆れて引き上げてしまったそうだ。 その後、一晩かけて立川から引いてきたというが、この道中もなかなか大変だったようだ。 昭和58年の改修前、山車に彫刻を入れるためのホゾ穴などが施されていたが、彫刻が入っているべき部分に実際に彫り物が入っていない個所があった。 こうした部位には、改修時に彫刻を作成し、追加充填している。 元々、こうした部位に彫刻が入っていたものが何らかの理由で外されたものか、後から追加できるように処置していたものかは不明。 |